日本の何が悪いのか


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今回長文です。お時間のある時にのんびり読んで下さいませ。

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「海外に移り住んだら、アトピー性皮膚炎(以下アトピー)の症状が出なくなった」だとか、「海外に行ったら出なくなったが、日本に戻ってきたらもとの状態に戻った」という話を、時折り聞くことがある。


それが短期の旅行なら、日本での日常のストレスから解放されたことの効果、と断じてしまうこともできるだろう。
しかし、移住であったりすれば、そこでの生活なりのストレスもある筈だ。

アトピーが、先進国に多い、いわゆる「文明病」であることは、衆目の認める所なので、移住先が発展途上国であるなら、症状が改善することも納得しやすい。
しかし、行く先がドイツだったり、香港だったり、という先進国でも、やはりこうした話を聞くことがある。


あくまで個別のエピソードであって、統計ではないから、その真偽の程にけちをつけ、「そんなことがあるもんか」、あったとしても、その時偶然治っただけだ」と言い捨ててしまうのは簡単だ。

でも患者のひとりである私としては、そんなふうにはなれない。
どうしてそんな羨ましいことが起きるのだろう、と考える。

日本の何が、どこが、他の国と違うというのだろう。
どうして彼らはよくなったのだろう?。
そう、果てしなく考えは拡がっていく。


そんな視点で考えてみるのも、面白いかもしれない。
そこで、今日は、「日本」という国の特徴を考えながら、アトピーの症状をより強くさせる可能性のありそうな要因を、考え挙げてみたい。


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○環境病としての発症:特に化学物質への暴露○


それにつけてもいつも思うのは、「ほとんどの皮膚科医は、どうしてアトピーを環境問題と関連づけて見ようと考えないのだろう」という疑問である。


アトピー性皮膚炎を含むアレルギー性疾患の患者は、20世紀からトピックとなり、現在年を追うごとに増加重症化している。
それはなぜか?。
先進国に多く、発展途上国ではほとんど問題にならないのはなぜか?。


そこには多くの要因が考えられるだろうが、文明が発展することによる環境の変化が、最大の要因ではないか、と私は思う。

そしてその根幹をなすとも思われるのが、20世紀に急速に進行した、産業の発展に基づく石油への依存傾向、そして生み出された溢れる程の化学物質である。



●建築材料中の化学物質●


日本では、化学物質過敏症の多くが、シックハウス症候群として発症してきた。
住宅建材から人体に取り込まれた化学物質による、健康被害である。

その患者が、皮膚の発疹・アトピーの悪化を伴う。
或いは、化学物質過敏症と診断される程には至らない人でも、化学物質の暴露によってアトピーを悪化させる患者はいる。

新築ないしリフォームした住宅や施設に入ってから悪くなったというアトピー患者に遭遇することは、最近ではそう稀なことではないと思う。

それでもなぜか、皮膚科医の考える環境中のアトピー悪化要因は、依然として、圧倒的にダニ・埃、時にカビ、までにとどまり、住宅内の化学物質が挙がってくることは滅多になく、事実上これらは皮膚科医から無視されているかのように、私には見える。

化学物質濃度測定の手技上の困難さ(機械が必要・家まで行かなくてはできない・窓を閉め切る等の準備・何か所も測定・対象化学物質の種類の多さなど)という高いハードルは確かにあり、それを越えることができないのだとしても、原因物質として疑うことはどんな医師にでもできることなのではないだろうか。


日本人は古来、加工製品の技術開発能力に大変優れている。
市場や行政のあらゆる要求に、忠実に答えていこうとする、勤勉さも持つ。

難燃性・耐震性・低コスト・デザイン性、要求された全てに答えられる素材として、選出開発されたのが、いわゆる新建材、合版や合成樹脂や化学塗料だったのだろう。

安全性についても無論検討されて商品化されたことと思う。

しかし、個々の素材としては問題がなくても、まとまった量が、さらに多種にわたり、高温多湿な日本の、気密性の高い室内で用いられた時の、人体への作用にまでは、思い至らなかった。

それらの化学物質は、揮発、蓄積し、許容範囲を超えた人間に対してのみ毒牙として襲いかかるという、非常に捉えにくい表れ方をした。


西洋医学教育で育った医師は、概して、「捉えられないもの」の存在を認めることが、非常に苦手という性向を持つと思う。

ダニ・埃・カビなら、とりあえず採血だけで、IgERASTのスコアという明確な検査値を、医師は手にすることができる。
しかし化学物質には、そうした簡便な検査法がない。

データとして出てこないことは、因果関係が証明できないということになり、その存在は闇に葬られる。
そうしたしくみなのではないかと思う。


しかしそれでは、救われないのは患者である。
医師にさえ認めてもらえないのなら、彼らはいったいどこへ行けばいいというのだろう?。

自然に症状がやわらいでくる日に希望をつないで、ただ家で寝ているより他ないのではないだろうか。
ところが、あまつさえそれに追い討ちをかけるように、治療意欲を失った愚かな「ひきこもり」とあざける医師もいる。

それは、傲慢ではないだろうか。
この分野に於ける医師の態度には、もっともっと改善すべき点がある気がしてならない。



●食品中の有害物質●


問題となる化学物質は、建材のものばかりではない。
食品に含まれる化学物質も、ここ数十年の間に日本で著しく増加したものの代表格だろう。


高度成長の末に世界有数の経済力を獲得した日本の消費者たちは、それにものを言わせて、グルメと、楽をすることを指向するようになった。
ここでも生産者は忠実にその要望に答え、さらにその指向を先取りする程に、便利でおいしく購入しやすい食品を次々開発していく。

そして、デパートなどの小売り・外食産業を含めて、加工食品市場は隆盛を極め、現在では全く料理をしなくても、何でも外で買って食べることができる世の中である。


しかし、作ったものを置いておくには、長もちさせる工夫が必要になるし、次々出る新商品の中で目立って購入してもらうには、見栄えを良くしなければならない。
市場の原理としてある程度不可避的に、食品添加物の使用が増えることになる。

そして、そのほとんどは合成化学物質だ。


合成着色料の一部などは、単独で蕁麻疹などのアレルギー症状を起こす可能性のあることが知られているが、そうしたことを除けば、ひとつひとつは、一人の人間が一生摂取し続けても問題ない、すなわち安全であるとして使用を許可されているものではある。

しかし人体にとって何ら栄養となるものではない不必要な異物であることは確かで、大量投与の実験などから、毒性を懸念する声も一方では挙がっている。

摂取が大量となった場合、多種類にわたった場合、他の化学物質の取込みも重なった場合、どこかで人体の許容量を超えて、明確な害作用を現してくるのではないか。
そのひとつとして、アレルギー症状の促進があるのではないだろうか。


現代の食品には、他の問題点もある。
酪農で、効率良い多産を目的として餌に混ぜて投与される抗生物質、農作物に散布される農薬、海洋を汚染し海産物に蓄積する工業等からの廃水・廃物。

いずれも、消費される食品に一定量残留し、食べることにより人体に取り込まれることになる。
その多くはまた、化学物質である。

最早、何を食べても安全とは言えない世の中と、言ってもいいかもしれない。


これらは無論日本だけの問題ではないが、日本では、

・食生活の変化で近年肉類の摂取量が非常に増えていること、
・日本の農業は狭い農地での集約的なもので、いきおい農薬の使用密度が多くなる傾向があること、
・虫食いなどのない、外見の整った作物を求める傾向が強いこと、
・世界中のあらゆる農作物を取り寄せて食べていることから、遠方への輸送に耐えさせるため収穫後に散布される農薬をも摂取していること、

など、これらの有害物質を多く体に取り込む結果になりやすい要因を、沢山持っている。


口腔アレルギー症候群という、病気をご存知だろうか。

果物・野菜・ゴム・花粉などに対してアレルギー症状を起こす病気で、近年新しく認識され、その患者数も、抗原となる果物などの種類も、年を追って増えている。
その原因物質のリストに挙げられている農作物も非常に沢山あり、一見何の関係もないようでもある。
(バナナ・キウイ・アボガド・メロン・りんご・もも・トマトなどなど・・)

しかし、これを見ていると私は、ひょっとすると、「遠くから運ばれて来ているものと、繊細で農薬の使用が多かったり果肉にそれが残りやすかったりするもの」のリストなのではないか、つまり、農薬の影響が何らかの形で現れているのではないか?、と思ったりするのだ。


私たちが甘く見ているうちに、食品に残った有害物質はすでに私たちの体に蓄積し蝕み、アレルギー症状として警告を発しているのではないか。
その機序はまだ分からないが、例えば花粉症がディーゼルエンジンの粉塵との共存で発症するように、何らかの形で私たちの体の免疫系を狂わせているのではないかと、推測してみたりする。



●食品の生物活性の低下●


その一方で、現代の環境悪化を反映して農地は痩せ、その結果収穫される農作物の含むビタミンやミネラルなどの栄養分は、かつてより乏しくなっているという。

それらは、人体に有害な物質を処理する助けとなるはずのものであるから、むしろ以前より増えていなければ引き合わないくらいであるのに、これは悲しい逆説である。



●水の問題●


同じく口にするものとして、水はどうだろう。


上下水道の設備が整い、技術も豊かな日本では、下痢を起こすこともなく水道水が飲める。これはとてもありがたいことである。

しかしそのために、水道水には、細菌の増殖を抑える塩素が混入される。
その他にも、少量の窒素酸化物などの有害物質の残留もある。

プールの水も、日本人の清潔指向から、塩素濃度が高められる方向にある。
プールやシャワーで肌に触れる水が含む塩素が、皮膚を乾燥させ、アトピーを悪化させることは、周知の事実である。

これに対して、塩素の口からの取り込みがどの程度アトピーに影響するのかは未知ではあるが、やはり懸念される因子のひとつと言えるのではないかと思う。



●農薬●


では、昔ながらの家に住み、自分たちで作った野菜と湧き水で暮らす田舎の人たちなら、健康に暮らせるのだろうか。

確かにその可能性は高いが、ここでもまだ化学物質は追ってくる。
農作物の生産者として、散布された空気中の農薬への暴露である。
これは、アトピーのみならず、神経系を中心とした重篤な中毒症状や過敏症状をも引き起こし、より重篤な状態ともなりうる。


存在する農薬の便利さを享受しないということは、大変に難しいが、一部では有機栽培の流れもある。
たとえ農薬を完全に使わないことが無理だとしても、少なくとも、その使用量と毒性を少なくしていくあらゆる努力がなされなくてはならないだろう。



●清潔指向●


近年の日本人の清潔好きは病的に過剰で、アレルギー患者を増やす一因になっているということも、かねて専門家の指摘する所である。


ひと頃の抗菌グッズの大ブームはどうやら過ぎたようであるが、日常生活の中での、消毒薬などの化学的洗浄剤の使用は、むしろますます広く多くなってきているようである。

掃除・洗濯・炊事の手間を省きながら、きれいになった気分を味わえる商品が、次々開発され、食中毒・感染性腸炎・院内感染などの話題が起きれば、その度に飲食物を扱う店や病院などの消毒処置がきつくなっていく。

しかし、薬を多用すれば必ず耐性菌が生じてくるし、残った化学物質が人体への害作用も及ぼす。
清潔を保つためのこれらの使用は、行きは良い良い帰りは怖いなのだ。


最近では、強い洗浄剤の代わりに酢や重曹を使って、無害にかつきれいにしようという、好ましい流れもある。
化学的(消毒)洗浄をせずとも、物理的(こすり取り洗い流す)洗浄によって落とせる汚れも沢山ある。

手間を惜しんで化学薬品に頼り、そのうちに健康を損なう結果になってから、泣くことにならないようにしたいものだと思う。



●大気汚染●


大気汚染が喘息を発症・悪化させることを否定する者はいないだろうが、アトピーの場合は、それと比べると因果関係は明確でない。

しかし一般に、空気の悪い都市部の方が、アトピーに悪いと認識されているのではないかと思う。

汚染とは言えないが、スギアレルギー患者の、春期のアトピー悪化も、日本に特異的な大気中の要因として挙げられるだろう。



●気候●


日本の気候は高温多湿である。
地球温暖化とともに、その傾向はさらに強まっている。

しかるに、住居の方は、それと反比例して、吸湿性に乏しい新建材から成る、気密性の高いものに変わってきている。
快適な空調設備が整い、都市部では建物の高層化や密集・大気汚染もあって、窓を開けて風を通すことさえ難しくなっている所も少なくない。


風呂場には、カビが沢山湧くのが当たり前。
定期的に化学洗浄剤で落とすのが家事のひとつ。
そんな住宅がどんどん増えているのではないだろうか。

こうした環境では、アトピーを悪化させる、ダニ・カビは当然多くなる。


自然と共生し、気候に合わせて暮らしていくという姿勢が、失われている。


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○社会的要因○


●楽な生活●


高度に文明の発達した社会では、生活が便利に楽になるため、体を使い鍛える機会がどんどん少なくなっていく。
運動不足が、体の代謝を低下させる。

その上、コントロールされた温度・湿度の、快適な屋内にばかりいる生活では、体の適応能力は退化するばかりである。

このように、血液循環・免疫機能・皮膚の機能・自律神経調節機能など、あらゆる身体能力が弱化した体が、アトピーの発症準備状態としてあるのだと思う。


先進国の中でも日本は、人工的に管理された環境をことさらに好む性向と、それを実際に造れる技術を持ち合わせた国である。
批判を恐れる ことなかれ主義からか、サービス不足よりは過剰を良しとする傾向もある。

整い過ぎた環境で暮らすことは、決して幸せとばかりも言えない。



●食生活の欧米化●


日本の食生活は、ここ数十年で、急速に欧米化した。
米・野菜・魚など構成される和食から、小麦・肉・卵・乳製品などを多く採る食事へ。

元来、他からのものを巧妙に模倣して取り入れることの得意な日本人が、強いアメリカへの憧れからか(屈服でもあったのか)、その食文化を徹底的に取り入れ、定着させてしまった。
さらに珍しいもの好きの国民性なのか、その後も、中国・フランス・イタリア・韓国と、次々外国の料理や食材を取り入れ、日常的に食べるようになっている。


しかし、自国の伝統食が、本来自分たちの食性に最も合っている筈のものなのである。

言ってみるなら私たちは、日本人という民族の胃腸の働きを変える、壮大な人体実験を行なっているのだ。


ものごころつかない内から大人サイズのソフトクリームをほおばり、ご飯よりパンや麺類やピザを食べ、誕生日にはケーキ、学校給食では、お茶の代わりに牛乳を飲む。

卵・牛乳・小麦による、蕁麻疹やアトピー性皮膚炎などのアレルギーの多発は、当然の成り行きであろう。
消化機能が未熟な幼小児の体が、「合わない」ことを正直に訴えている。


それでも、栄養価が高い良い食品という信仰のもと、あるいは価格・手軽さ・口当たりの良さなどの利便性や嗜好から、私たちはこれらを食べ続けて現在に至っている。
いまや日本社会の中で、存在するのが当たり前のものになっているのだ。

既にこの実験も半世紀に及び、日本人の胃腸も、いくらかは適合し始めてもいるかもしれない。


とはいえ、和食もまた一方で、厳然たる位置を占め続けてはいる。

和食は、アレルギー・生活習慣病・癌などを予防する、世界的にも高いレベルの健康食だということが、近年認められるようになってきた。
健康に長生きしたい日本人なら誰でも、ことにアレルギー持ちなら、やはり和食を主にした食事を志向すべきだろう。


アレルギーの強い人には、選択の余地なく反応する物を避けるしかない。
しかし、そこそこの状態の人なら、どうするかは個人の選択に任されることになる。
日本は今、自分の食べたい物を何でも選べる、ありがたい国である。

健康を重視しながら、嗜好も時には満たして、というのが、おそらく凡人の取るべき道であろう。
しかしその際、この国がまた、嗜好への妥協が簡単に行き過ぎてしまうような誘惑の多い国でもあるということも、重く心にとどめておかなければならない。



●医療事情●


日本の医療は、国民皆保険である。
混合診療も禁止されているため、保険診療が大半を占める。
誰でも最低限の医療を受けることが保障されるという意味では、理想的かもしれない。

しかし、病院側から見ると、患者ひとりひとりから入ってくる収入が限られていて、多数の患者を診なければ経営が成立しないという面もある。
その結果どうなるかというと、ひとりの患者に長い診察時間をかけることができなくなる。
速く診なければ多くの患者は診られないし、後に控える患者たちを長く待たせることにもなる。


アレルゲン(原因物質)の追求は、より根本的なアトピーの治療法であるが、時間と手間がかかりしかも充分な費用の報いがない。
原因(疑い)物質の再投与試験などの、危険性を伴う検査に至っては尚更である。

原因治療が大切、という医師のたてまえとは裏腹に、現実にはほとんどが、症状を抑える薬を処方するだけの、対症療法に終始することになる。


患者側としても、働き者の日本人、生活に忙しい者にとっては、ある意味ではこういう診療の方が好都合でもあったかもしれない。
面倒な生活改善などを長々と云々されるより、薬ですぐにぴたっと治してもらって、後は病気のことは忘れて、今までの生活の続きに戻るのだ。


両者の存在に、薬代を払える豊かな経済力が加わって、日本人の薬の使用量は、世界の中でも突出したものとなった。

この、薬を使い過ぎる、薬に頼り過ぎる傾向が、アトピーに於いても、「ステロイドの使い過ぎ」を起こしやすくした一因、と私は思っている。


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○ 日本人の精神傾向 ○


●ストレス●


さて、それでは日本人のメンタリティから見るとどうだろうか。


「ストレスでアトピーが悪くなる」ということは、よく言われることである。
心身医学の分野の分類でも、アトピーは、心身症(心的要因のために身体症状が出る病気)のひとつとして位置付けられている。

そして、無論、現代社会の先進国の一員として、スピードの早い、要求されることの多い、精神的ストレス要因に満ちた社会に、私たちはいる。


日本社会に特徴的なのは、生真面目で、上の者に従順に従い、不満を内蔵してしまいやすいという人々の性格と、そこに付け込んで、どこまでも管理要求し、我慢を強いるという、上に立つ者の姿勢ではないかと思う。

こういう、抑圧された形の負の感情は、行き場を失い、体の症状となって表れやすい。


他人に気を使わず遠慮しない鈍感な人なら、こういう形で病に陥ることはないのだろうな、と思う。

思いやりある医師だと、このことを、アトピーには優しい人が多い、とか、知的レベルの高い人が多い、と評価してくれる。
しかし医師が鈍感なタイプなら、気付きもしないか弱虫呼ばわりして、さらに患者を苦しめる。



●自立できない患者●


さらに、患者と医師の関係に於いても、こうした日本人の従順さは、災いしていると思う。

日本の患者は、医師に逆らうことができず、しばしば質問することでさえも、御機嫌を損ねるのではないかと躊躇ってきた。
そして医師は、あくまでも患者の上段に立って、患者を一方的に管理し、従わせることを、当然と思ってきた。

病気や薬の作用についての説明も不充分で理解もできなくても、患者は盲目的に医師の指示に従ってきた。
そうしなければ、医師に怒られるか見捨てられるかしてしまったのだ。


そんな関係が、社会の中での大人同志の契約関係として、果たして正当なものと考えられるだろうか?。
ー否、だろう。


アトピーに於けるステロイドの薬害問題は、この医師−患者関係と非常に関連が深いと、私は思っている。
だからこの問題は、先進諸国の中でも、日本に於いて突出しているのだと思う。


リスクと効用をともに知った上で、自分で使うことを決めたステロイドだったら、後になって「こんなはずじゃなかった」とはならなかっただろう。


そうして患者たちは今、目覚めつつある。
自立して、自分で知り、選択しようとしている。

かつては医療情報はほとんど医師の独占だったが、インターネット時代では、情報は誰の手にも入る。
旧態依然の医師の言うことを鵜呑みにしてくれる患者は、これからは減っていくばかりとなるだろう。



●みんなと同じ●


最後にもう一つ、社会に於ける日本人のメンタリティの問題について触れたい。


日本の社会は、圧倒的に均一性を重んじる。
それは、伝統的な「村八分」という言葉に代表されるように、人と違ったことをすれば、阻害され排除される傾向の強い社会である。

そこに於いてアトピー患者は、外見と社会生活能力にペナルティを負っていることから、非常に苦しい立場に立たされることになる。


赤くも粉ふきもしない普通の顔をして、しょっちゅう休んだりせずに普通に学校や仕事場に通い、周囲の人と同じように何でも食べ、何でも着て、どこへでも行く能力を、社会は要求する。

学校や会社で、「ひとりだけ特別扱いはできない」とか、「すっかり治してから戻ってこい」と言われて、暗澹たる思いにかられたことはないだろうか?。
どうして自分は皆と同じにすることができないのだろう、と、自信を失い、悲嘆にくれたことはないだろうか?。


しかし、病気に限らず人はひとりひとりが皆異なっているのが本来なのだから、同じであることを求める方が、そもそも間違いなのだ。

その間違いが間違いで通らないのが、日本と言う社会である。


関連して、Atopic Information"なぜ難病といわれるのか"という記事を紹介する。 私が、傑出した洞察だと思っている、記事である。
よろしかったらご一読を(いささか表現が強いので、驚かれぬよう)。
日本社会からの無言の圧力が、患者のステロイドへの依存を強めさせることの危険性を書いた、"「みんな」という大罪"のくだりは、見事である。


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こうして書いてきた、日本でのアトピー悪化の要因と推測されるものたちは、いずれも因果関係の証明が困難なものばかりである。

だから、この文章は、私の独断論にすぎないかもしれないし、私自身、あと何年後か或いはもっと経ってから、あの時書いた中の、あの部分は間違ってたなあ、と知ることもあるかもしれない。

それでも、私を含めて今日本に住んでいるアトピー患者たちのほとんどは、これから一生をこの日本で過ごすのであろうと思って、これを書くのである。

より多くの人がより健康に幸せに生きられる、もっといい日本になって欲しい、と願いながら。

2005.3.  

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