[いんちきか、治療か]

Trick or Treatment?


ずっと気になっていた本をやっと読んだ。
2010年に日本語訳が出版された「代替医療のトリック」サイモン・シン&エツァート・エルンスト著。
世にはびこる代替医療の実効性を検証した本である。

まずは要約を書こう。
真実を探求する過程の例を、最初の章で挙げたあと、
各1章ずつをとって詳細に記述してあるのは、鍼・ホメオパシー・カイロプラクティック・ハーブ療法の4種の方法。その他多数は、巻末に各2ページで簡単にまとめられている。

統計学的に信頼性のある報告を解析した結果の要点は、
鍼は一部の吐き気や痛みにのみ有効、カイロプラクティックは腰痛にいくらか有意のデータあり、ハーブ薬のなかでイブニングプリムローズオイルはプラセボ効果のみ、セントジョンズワートは軽度のうつには効果がある、というもの。
そして副作用として、鍼では出血などの外傷の影響、カイロプラクティックでは頸部への強い施術による脳卒中から死まで、ハーブでは成分や混入物の毒性・他の内服薬への干渉などを挙げている。
さらにどの療法においても、西洋医学の有効な治療を受ける機会を逸することと、金銭的損失とのデメリットを強調し、読者がその被害をこうむらないようにと心配してくれている。

「真実は必要か」という最終章では、
_果たして「効く」ことが本当に必要なのか?
_プラセボ効果であっても効くならいいじゃないか?
という、代替医療のある意味で核心とも言える問題に踏み込んで論じており、特に興味深い。
もちろんその結論は、「過去の医学の暗黒時代に戻ってはいけない」という、いかにも正統派らしいもので終わるのだが。

さて、感想である。

まず、タイトルの秀逸さには舌を巻いた。
邦題の「代替医療のトリック」も、いい所を突いているけれど、
原題が「Trick or Treatment?」(いんちきか治療か)だとは。

言わずとしれたハロウィーンで家々を巡る子供たちのセリフ「Trick or treat?」(いたずらしちゃう?それとももてなしのお菓子くれる?)をもじったもの。

馴染み深いリズミカルな言い回しは、書店でもさぞかし目を引いたことだろう。
短い言葉のなかで、本の主題を鮮烈に伝えている。
しかも茶化した形をとることで「まともに相手すべきものではないのでは?」と、療法の信憑性の疑念へうまくつなげているような気さえする。
みごとなものだ。

そうしてその本のなかの分析と評価の姿勢は一貫して、大むね冷静・公平・実務的・理性的・分析的・合理的で、恣意的や強引と考えられるところはほとんどない。
(鍼麻酔がやらせで、鎮静剤を大量に使っていたことが判明したという話に、裏付けがないのが気になったくらい。)

代替医療に強い関心をもつ人は、一読しておくべき書となっていると言えるだろう。
しかしいかんせんボリュームが多く(日本語版で451ページ)読み通すのは大変だ。
興味をもちながらもそこまでできないという人の便宜も考えて、内容を拾いながら、この文章を書いてみたい。

さて、この本がよくできているからと言って、読んだ私が「代替療法の施術を辞めよう」と思ったかというと、そうはならなかった。

現在、西洋医学の医業を行う一方で、それと同じくらいの時間を代替療法の仕事に費やしている私。
そんな私も、この本に書かれているような代替療法家の1人に分類されるのだろう。

曰(いわ)く、
「『医療のなかには科学的ではない別の種類のものがある』という考えは、私たちを暗黒時代へと逆戻りさせる。自分たちの医療介入の安全性や有効性に目を向けようとしない代替医療セラピストはあまりにも多い。そういう施術者たちは、自分の治療法を支持したり否定したりするために、厳しい臨床試験を行って科学的根拠を得ることの重要性も理解できない。そして、治療法に効果がないか、または安全でないという科学的根拠がすでに得られているなら、代替療法のセラピストは、両手で耳をふさいでその情報を聞かないようにしながら、これからも治療を続けていくだろう。」(P374)

「代替療法セラピストのなかには、危険な病気の人に無益なレメディを売るという行為を納得ずくでやり、金を儲けて満足している人もいるだろう。しかし強調しておくべきは、セラピストの大部分は、心から良かれと思ってやっているということだ。誤った考えに導かれたセラピストは、患者と同様、治療が効くと信じているのである。」(P246)

誰しも、自分が間違ったことをしているとは思いたくない。
私もそうだが、自分の間違いを認めまいと意固地になっているつもりはない。

素晴らしくまとめられたこの本の語りに教えられ、納得したり戒めとしたりする部分も多々あるとしてもその一方で、完全に客観的事実ではなく、著者たちの思考や、無意識的にではあろうが著者たちの望む本の方向性にそった論理展開になっている部分が見え隠れするからだ。

たとえば、ここで鍼は検証されているが、漢方を含めたそれ以外のいわゆる東洋医学全般は、解析されていない。
複雑すぎるからというのがその理由のようだが、本文内で「主な代替医療の鍼治療もカイロプラクティックもホメオパシーも・・」とくり返し書くことによって、鍼が伝統中国医学の主要な手技だと当然知っている読者(つまり、すべての読者)は、連想によって東洋医学・伝統中国医学全体が解析され否定されたようなイメージを頭のなかに広げていくだろう。
ちょっとずるいやり方と言えなくもないのでは。

それから、解析と議論のほとんどを、西洋医学が十分な実力を発揮できる土俵で語っている。
西洋医学がうまく対処できないものとして出てくるのは、腰痛と風邪くらい。その腰痛でも、通常医療の理学療法や生活指導の効果を少なからず見積もっている。
西洋医学に足りないものがいろいろあるから、患者はさまよっているのじゃないか、との思いを拭えない。

自分が関わっている療法についても、1つ。
頭蓋仙骨療法(この本ではクラニオサクラル・セラピーと記載)は、頭蓋と仙骨の小さな動きに注目した治療だが、それについて次のようにコメントされている。
「一般には、幼児期のうちに頭蓋と仙骨は融合して、強い構造ができることが知られている。たとえ骨と骨のあいだにわずかな動きがあるとしても、そのせいで人の健康が左右されるとは考えにくい、つまり、クラニオサクラル・セラピーは、生物学的には考えにくい理論にもとづいている。」
血液は心臓のポンプ作用が推進力となって全身を巡っているが、ならば脳と神経の周りを囲むように同じく全身を流れる脳脊髄液を巡らせている推進力は、何だというのか? それが、頭蓋骨のポンプ作用だと考えれば、「生物学的に考えにくい」ことではない。

最終章では、無効な代替医療を広めてしまう犯人の1つとして医師を挙げ、そのなかの一部にこうした分析がある。
「医師は自分のためにろくに時間を割いてくれず、思いやりも共感もない感じている」患者たちが、「自分のために時間をかけ、理解と共感を示してくれる」代替医療のセラピストに向かってしまうのだと。
この分析はまさに正しいが、対策としての「1人ひとりの患者にもっと時間をかけなければならない」は、保険診療では実現不可能である。ケアの手間にかかる費用は、誰かが負担しなければならないのだから。
できない対策をすればいいと挙げてみても、何になるというのだろう。

またホメオパシーの項で、2005年発表の研究を取材報告したテレビ番組を、否定的に取り上げている。
「ブリストル・ホメオパシー病院は、6500人の患者に対し、六年間にわたって追跡調査を行った結果として、慢性病をもつ人の70%は、ホメオパシーによる治療を受けたのち、健康状態が改善したと述べた」という内容。
「対照群が用いられていないため、ホメオパシーの治療を受けなくても改善したかどうかは知りようがなかった」が、否定的な第1の理由である。
ランダム化対照試験しか、彼らにとっては意味をなさないのか、と私は嘆きたくなる。

同じ条件にある多数の人たちを無作為に治療群と治療しない対照群に分けて経過を見るランダム化対照試験(可能であればさらに患者も治療者もどちらに割りふられているか知らない二重盲検法で)が、統計学的にもっとも信頼度の高い研究デザインであることは、当然である。
しかしそれには、大変な手間がかかり、脱落させずに経過を見続けることの困難もともない、長期間や負担の大きい継続となれば倫理的にも問題が生じる。

そんな、ランダム化対照試験挙行の難しさを考えれば、6500人もの患者を6年間も管理して調べ続けたほどの報告には、もう少し意義を見出してくれてもいいのではないか、と思う。

本書は、冒頭でヒポクラテスの以下の言葉を引き、指針としている。
「科学と意見という、二つのものがある。
 前者は知識を生み、後者は無知を生む。」
だから、意見ではなく科学の目で、代替医療の有効性を見ていこうと言う。

だが、今日「科学的根拠にもとづく医療」と言われているものの「科学的根拠ないし証拠(エビデンス)」とは、つまるところ、統計である。
この方法で治療しなかった500人中210人が亡くなったのに、治療した500人のなかでは15人しか亡くならなかったとしたら、その治療は効くと言える、といったものだ。
なぜなら、その差は統計的に有意だから。確率的に偶然とは考え難いほどの差があるから。

それが本当に“科学”なのか?
難癖をつけるようだが、私はそこに疑問を感じる。

だって、本当に科学的に有効なら、100人治療したら100人全員に効かなければおかしいではないか。
1人でも2人でも、効果が出ない人がいるとしたら、その人の体内ではその同じ反応は起こっていないことになる。

実際に人体は超が付くほどの複雑系だから、同じ薬が体に入っても、人によって同じ反応を起こすとは限らない。
ということは、人知の及ぶ範囲で、同じ条件の人たちを均等にランダムに2つの集団に割り付けたつもりでも、ひょっとしたら、複雑系のどこかに共通の特徴をもつ人たちが、片方の集団にたまたま偏って分布してしまうかもしれない。
つまり、たとえランダム化対照試験でも、1回の試験でその結果が正しいとは言えない。追試による確認をくり返さなければ、正しいとは言えないのではないだろうか。

しかし、一方で1人の人間の命は、地球よりも重いとすら言われている貴重なものである。
治療の適応がある人に、良くなる可能性がある治療をわざとしないままで、いつまでも放置することなどできない。
つまり、ランダム化対照試験という壮大な実験を、そうそう何度もすることはできず、何とか施行できた1回や2回の結果に頼らざるをえなくなる。
そんな不完全な検証が、果たして“科学”なのだろうか?

2009年日本でのことだが、新生児に不足するため一般的に病院で与えることになっているビタミンKを与えず、ホメオパシーレメディーで代用しようとした結果、ビタミンK欠乏性頭蓋内出血により児が死亡した、という事件があり、裁判となって翌2010年に広く問題視された。

新生児の体はまだビタミンKを作る能力に乏しく、ビタミンKが不足し、それがないと十分に作れない血液凝固因子が不足し、血を止められなくなって出血する。
こんなに因果関係がはっきりしていて、出血すれば命すら失うことがわかっていて、ビタミンK投与による副作用もみられていないというのに、ビタミンKを投与しないのは、馬鹿げている。

100人の赤ちゃんにビタミンK2シロップを飲ませれば、100人全員の赤ちゃんに効いて重症の出血を起こすことを防いでくれる(そしてビタミンK投与による被害をこうむるのは0人)。
これが、科学だ。そして理想の医療でもある。

100%でない場合には、成功例をどう見るか、失敗例をどう見るか、という評価や解釈が加わらざるをえない。
そこに、観察者の恣意(しい)が入る余地が生じる。
同時に、たとえ少数でも生じる失敗例を許容できるか、という問題も生じる。

そう考えてみれば、統計学的に有意であることを唯一の正義とすること自体も、一種の恣意ではないかと私は思う。暴言だろうか。
なぜといって、集団としてみれば、十分な多数が正義であることに間違いはないけれど、集団のなかの個人にとっては、たった1つ自分の身に起きたことだけが、すべてだからである。

予防接種を受けた子供が、その直後か接種後20-30日以内くらいのあいだで、ほかに何の変わったこともしていないときに、突然異常を起こして急死してしまったら、どうだろう。
遺族は、あの予防接種さえ受けていなければ、と深く悔やむことだろう。
そのとき、今まで因果関係の証明された副作用死は1件もなかったとか、副反応による死はごくまれだとかいうような科学的根拠は、慰めにもならない。

もちろん、ワクチンは全部受けるな、などと言っているのではない。
ワクチンは、受けずに感染したときに予想される危険性(個人の症状・集団の流行の双方)と、ワクチンの効力や副作用、感染する可能性の確率などを総合的に判断して、接種するかどうかを決めるべきものだと思う。

つまり、科学的根拠とは、科学的事実でもなく、結論でもない。
それは統計的資料である。
結論を導き出すための、非常に有用な数値的参考資料の1つなのである。

だから、この本のようなものは、希望する誰もが手に取って、その情報を手に入れられるようにしておくべきものだと言えるだろう。
効いたという統計的集計結果は得られていないと知った上で、別の情報も合わせてその代替医療を受けるかどうかを決めるのは、個々人の判断である。

2010年のホメオパシー問題を、またむしかえさせてもらう。
効かない代替医療に傾倒して、有効な通常医療を受けずに患者が病状を悪化させる危険性が、大きく憂慮されたこの時、日本学術会議がホメオパシーを全面否定する談話を出して注意喚起した。
その際に、無効の根拠とされた論文が以下である。
Are the clinical effects of homoeopathy placebo effects? Comparative study of placebo-controlled trials of homoeopathy and allopathy
Shang A, Huwiler-Muntener K, Nartey L, Juni P, Dorig S, Steme JA, Pewsner D, Egger M.,
The Lancet, Vol.366(9487), Aug 27-Sep 2,2005, Pages 726-32.

この論文は、過去のホメオパシーの報告を網羅的に集め、通常医薬品による治療報告も対照として集め、統計解析して「ホメオパシーはプラセボ効果という見解と矛盾しない」という結論を導き出した。
ただ、そのなかで、少数の患者の試験では有効性を示しているものもあったと言う。だがそれらは小規模なので、信頼性が低いというわけだ。

でも、自分や自分の家族がその有効とみえた少数例のうちの1人だったとしたら、どうだろう。「ワンダフル ホメオパシー!」ではないだろうか。

誰でも、自分自身の健康をいつでも望んでいる。
端的に言うなら、他人はどうでもいい、治さなければならないのは、自分の病気なのだ。
だから、どれほどこうした証拠が出されても、代替医療は息絶えないだろうと、私は思う。

技術はあっても時間の不足などから、患者との良好な関係を築けない医師、という通常西洋医学の問題点が、本書のなかで上げられていたことはすでに書いた。

しかし私は、より根源的な問題として、
西洋医学が治せない病気・病態があること。
西洋医学の治療が結果として害をなしてしまう場合もあること。
を取り上げてほしかった。

西洋医学の治療は、一般的に強いし、ほとんどの場合さらに治療を強く多くしていく方向に進歩していく。
だから、試験をし統計を取れば、はっきりとした数値の変化が捉えられる。
けれど、その急激な変化が軋轢(あつれき)を生み、体内の別の場所に不都合を起こす可能性への対処には、西洋医学は概して消極的だ。

このサイトの「免疫を抑制する新薬」の中で書いた、抗TNFα作用をもつ生物学的製剤のレミケード・エンブレル・ヒュミラ・ステラーラ、ネオーラルやサンディミュン、プロトピック、そしてステロイドといった薬の、扱い方を見ていれば分かる。

折しも、日本脳炎ワクチン接種後の死亡例が問題となっているが、予防接種についてもそうだ。
ここ数年で日本で接種できるワクチンが急激に増え、予防接種事情は様変わりした。
ヒブ・肺炎球菌・ロタ・B型肝炎・ポリオ不活化・水ぼうそう・・。1つで2-4回の接種が必要なものも多い。
健康な子が、生後1年のあいだに予防接種だけで10-20回の注射を受ける事態が、「体にいい」ことだとは私には思えない。
注射の痛みや恐怖で死ぬのなら、それだって立派な副作用だろう。

既存の西洋医学で、副作用の危険も乏しく、十分対処できる病気であるなら、それを受けられるだけの健康保険システムや金銭があれば、そちらを選ばない人はいない。

代替医療が必要とされるのは、西洋医学で充足できない部分があるからこそなのだ。
病院に行っても治らないときに、苦しいままなときに、原因不明と言われたときに、できることはないと匙を投げられたときに、患者は何かほかの可能性を探るしかなくなる。
医学が人の行う有限の技である限り、「代替」は必要なのである。
代替医療は、可能性の医療、挑戦の医療であると私は思う。

だからもちろん、まったく可能性のない所に賭けても、お金と命の無駄になる、という点については、本書の言う通りだ。
無駄をしたくない人にとって、この本は良い参考書となるだろう。

本書のなかで引用されているアメリカの物理学者カール・セーガンの言葉を記して、この文章を終えたい。

「二つの相矛盾する必要性のあいだで、デリケートなバランスを取らなければならないと思うのです。提示された仮説は、とことん懐疑的に吟味すること。それと同時に新しいアイディアに対しては、大きく心を開いておくことです。
もしも懐疑的なだけなら、新しいアイディアはひとつも理解できないでしょう。新しいことは何も学べず・・・(中略)・・・
一方、騙されやすいほどに心を開き、懐疑的な思考がまったくできなければ、有用なアイディアを価値のないアイディアから選り分けることはできません。」

この基本姿勢で、自分が試みるべき代替医療があるかどうか、あるならどれか、調べ考えてみるとよい。

あなたの体はあなたのものだ。
あなたが自由にどうするかを決めて、そして損はしないでほしい。

私は、この本の検討結果を残念だと思う、1人の代替療法家であり、西洋医学の観察者・実践家でもある。
残念なその結果を受けとめながら、それがすべてではないとの思いを糧に、可能性を探る旅を続けたい。
何よりも、かつての私と同じように、通常医療だけでは生きていけない人たちのために。

ちなみに、この本のなかで言及されていないNAETには、自閉症について有効性を報告した、ランダム化対照試験の論文が1つある(下記の通り)。
Improving Comminication Skills in Children With Allergy-related Autism Using Nambudripad's Allergy Elimination Techniques: A Pilot Study
Jacob Teitelbaum, Devi S. Nambudripad et al.,
Integrative Medicine, vol.10,No.5,Oct/Nov 2011, Pages 36-43

2012.10  


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