[皮膚科医のあるべき姿]


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この2月の皮膚科の中規模の学会で、アトピー性皮膚炎をテーマとするシンポジウムがあり聞いてきたが、4月の全国規模の皮膚臨床医の学会のプログラムが来たら、またアトピー性皮膚炎のシンポジウムがあるという。

思えばアトピー性皮膚炎は、皮膚科の学会や講演でよく取り上げられる。
よくある病気だから当たり前とも言えるが、それだけみなが聞きたい、つまり困っている病気だということも言えるだろう。

患者も家族も、医師も困っている。
アトピー性皮膚炎とは、そういう病気だ。

アトピー性皮膚炎において、現在の医学が持っている駒は限られている。
外用剤として、保湿・ステロイド・カルシニューリン阻害による免疫抑制(プロトピック)、
内服薬として、抗アレルギー(抗ヒスタミン)・ステロイド・カルシニューリン阻害による免疫抑制(ネオーラル)、
物理的療法として、紫外線照射・痒疹への液体窒素・海水浴、
原因対策として、アレルゲン除去、
心身症的側面に対して、精神心理的加療、
体質強化策として、食養生・規則正しい生活・適度な運動
・・・といったところ。

そして実際の臨床の場では、1人の患者に長時間をさけない保険診療の制約と多忙さの中で、多くの医師は上記の後半部分は放棄し、病院で出せる薬とすぐできる処置に頼るしかない状態にある。

そうした処方や指導を通じて、自然治癒に向かってくれたり、治らないまでも落ち着いた状態を保てる患者の方々ももちろんいるが、医師が万般手を尽くしても、上手くいかない場合が少なからずある。

満足する結果を得られない、患者さんたち。
乳幼児や重症者では、患者の家族さえもその苦難に巻き込まれる。
患者さんに満足を提供できない医師もまた、心苦しさに苛(さいな)まれる。

患者や家族は、メディア・インターネット・書籍などに新情報を求め、
医師は、学会や医学雑誌で、新知見を得る。
誰もが、より良い治療につながるヒントをほしがっている。
そんな中での学会や講演会は、聴衆の大きな期待を集めるものとなる。

実験や研究の成果を講演する医師もいるが、日常患者を診ている多くの医師の講演の主眼は、「こう診療すれば上手くいくのでは」という提案だ。
実際にそのやり方で上手くいった患者の方の例を、供覧しながら。

曰く、「きっちり強いのを使わないと」「ここですぐ止めてはダメ」「腰が引けた使い方をしている」「患者さんの話を聞く」「初診は十分時間をとって」「アトピー講座を行うと理解が深まる」・・・などなど。

聴衆は一生懸命、話を聴く。
自分自身の経験や知識と照らし合わせ、明日からのより良い診療につながるヒントを、必死で探す。
日々自分が困っている問題なのだから、当然だ。
そして、何かいいヒントが得られただろうか?。

私の場合、いつも成果は「現状を確認できた」ということだけだ。
残念ながら、このやり方はいい、自分でも試みてみたい、上手くいきそうだ、と思えたことはない。

結局のところ、先に例挙した既存の駒を、ただいじっているだけなのだから、新味がないのも、むしろ当たり前か。
人の想像力には限りがある。
誰かが思いつくことに近いようなことは、私にだって思いつける。

聞きながら思う。
今この先生は、自分の前の医師が患者の状態を上手くコントロールできなかったという報告をしているけれど、まさしくそれと同じように、その先生のところで上手くコントロールできずに、他へ流れていっている患者さんももちろんいる。
この先生は、そうした患者の方たちの存在を、認識しているだろうか?。


残念なことだが、アトピー性皮膚炎に関して、皮膚科医は道化だ。
病院で皮膚科医として診療している自分も含めて、そう思う。

医師は、少しばかり症状を紛らせる治療をしているだけ。
決して、根本の問題の解決はできない。
患者はさまよい流れ、どこかタイミングや相性のかみ合った医師のところで何とかそれなりの安寧を得て、生き続けているだけのことである。

医師が医師らしいことができるのは、感染症などの合併症が起きたときの管理くらいのもので、あとは患者にとって医療機関は、保険で薬を出してくれる所でしかないのでは、という気がすることさえある。

私の皮膚科医としてのスタートの時、大学病院の先生に「よろしくお願いします」と挨拶に行った際、「君の(皮膚科の中での)志望は?」と聞かれたことがある。
私が「臨床(患者さんを診る)医になりたいです。」と答えたのに対し、 その先生はこうおっしゃった。
「皮膚科は治療学はpoor(おそまつ)なんですよ。失望するかもしれませんね。」

確かに、外用剤を使いこなしてこそ皮膚科、と言われながらも、代表的な付け薬は大きく分けて3種類、炎症を抑えるステロイドと、細菌が付いたときの抗生物質と、水虫などカビが付いたときの抗真菌薬。
それだけあればほとんどの治療は間に合う、という笑い話もあったくらいだ。

でも私は失望しなかったけれど。
治療も診断も、皮膚科は楽しかった。
精一杯治療すれば、それなりの成果が上がるものと思っていた。

数年後、自分のアトピーが爆発し思い悩んでいた頃、ある皮膚科雑誌の巻頭エッセイが目に留まった。
「なんで同じ薬なんだ」というそのタイトル。
今も鮮烈に覚えている。

とある皮膚科医が、たまたま乗ったタクシーの運転手の話。
彼は、尋常性乾癬(じんじょうせいかんせん)という根治法がない皮膚病を、一切の薬を断ち、休職して1人ひきこもることで治したと言う。
彼がその一念発起をしたきっかけは、皮膚科の外来で、自分と違う診断名の皮膚病の人が、自分とまったく同じステロイド外用剤を処方されていたからだった。

東洋医学の異病同治(いびょうどうち;違う病気に同じ治療。東洋医学では証という患者の状態を判定して治療するので、証が同じなら病名が違っても同じ治療になる)とは、訳が違う。
皮膚に炎症があるものなら何の病気であろうと、ステロイドを塗るより手がないということ。まさに対症療法。
彼が失望した気持ちもわかる。

病は違えど、ステロイドなしで治したという彼の経過に、私は希望を見出した。
このエッセイは、その後薬に頼らない道を突き進む私の、大いなる支えとなったのである。

(このエッセイは、現在ここで読めます。医師が文献を論じているブログです。)


非力な道化たちのあがきが、いつか本当にアトピー患者を安らがせる治療に、繋がるときがくるのだろうか。

真に有効な方策が見つかるまで、道化は道化らしく、皮膚科医自らが持つ迷いもそのままに、まっすぐに患者に相対するしかないのだと思う。

はじめに書いた2月の学会。
講演後の質疑応答で発言があった。
実際のアトピー患者の診療現場では、講演者が言うように十分な時間をとったり、上手に患者の同意をとりつけたりできはしない、という訴え。
そのとき、会場全体に失笑(!)がわきあがった。

失笑は、不毛な問題をわざわざ表面化させて解答を要求する質問者に向けられたものか、それとも、会場の医師たちが日々遭遇(そうぐう)している、困った患者・困った状況に対して向けられたものだったのか。
おそらく両方だったのだろうが、その空気が、私にはとても嫌だった。
問題に向き合おうとする医師を侮(あなど)る消極的な姿勢と、問題患者たちへの揶揄(やゆ)の気持ちが、感じられたから。

とはいえ、そんな皮膚科医たちの気持ちもわからなくはない。
私は今、別の代替療法で体質改善への挑戦をしつつ、通常の皮膚科診療もしているから、精神のバランスがとれるが、ふつうは、治らないあるいは不満を持っているかもしれないアトピー患者の方を毎日診続けなければならないわけで、これは相当に不本意なことのはずである。

眼をそむけて、自分の精神の痛手とならないようにするか。
あるいは、なんらかの方法で、起死回生を図るか。

学会で、病気のしくみや治療法だけでなく、患者とのコミュニケーション法までが語られるようになってきているのも、そうしたことの表れであるのだろう。
また、私がそうであるように、インターネットを通じて患者に働きかけようとする医師もいるだろう。

ただ願わくは、小手先で患者をとりこもうとするような、あざとい動きは避けてほしいものだ。
インターネットなどは匿名が可能な場が多く、医師が患者をよそおって、仲間のように話しかけたり、自院をほめたたえて宣伝とすることだって可能な、危うい媒体でもある。

実(じつ)のない語りはそれとわかることが多いが、たとえわかっても嫌な気持ちになるし、体調不良や不安で目を曇らされている患者なら、乗せられてしまうかもしれない。
騙(だま)しや裏切りは、病み苦しむ患者をなお傷付け、皮膚科医への、あるいは医療へのさらなる不信を招くものとなるだろう。

実際、今度の学会のプログラムの中に、インターネットの書き込み丸写しの内容があった (第29回日本臨床皮膚科医会総会・学術大会(名古屋市で開催) シンポジウム7-4 「アトピー性皮膚炎診療におけるコミュニケーションの重要性」という演題)。
こんな不見識を許しているようでは、患者の信頼など、とうてい得られまい。


アトピー性皮膚炎という病は、その患者は、皮膚科医が背負わなければならない重荷だ。
たとえ「なぜ治せない」とののしられても、医師にできるのは、真摯に患者に向き合うことだけだろう。

医師は万能ではない。
この世の苦しみも、なくならない。
それでも、決してあきらめることなく、誠実でありたいと思う。

2013.3.  


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