[アトピー患者、人生の愚痴]



. 若い皮膚科医だった頃、上の医師がよく「アトピー性皮膚炎患者の爪を見てごらん、ほら真珠のようにツヤツヤだろう、いつも掻いているからこうなるのだよ」と教えていらした。
今思うと臨床皮膚科医としての観察眼の大切さを説いておられたことが推察できるのだが、当時はそれを聞くたび、心がヒリヒリした。

アトピー患者にとって、掻くことは日常だ。
いつどこから発生するかわからない痒みをなだめ抑え、何事も起きていないかのように振る舞い、要求される日常の業務をつつがなく完遂するためには、小さな掻き動作が欠かせない。
それを咎(とが)め立てされている心持ちがして、とても居心地が悪かった。

患者の当事者から見た目線と、医師が外部から見た目線は、どうしても異なる。
他人には、本人の痒み、痛みをそのままに感じ取ることはできないのだから。
そこに悪意などないのはわかっている。
ただ、当事者目線のこととして、少し文字にしてみたい。


日頃から、何にでも積極的に挑戦していく人たちを見るたびに、人種が違うなぁと感じる。
アトピー患者の人生には、何やかやと制約が多い。
社会で活躍するためには、マイナスなことがいろいろとある。

何しろ荒れた肌だから、まずもって外観に自信の持ちようがない。
写真に写るのも苦手。残したい写真になっている確率は低い。
ときに写真は、見たくない現実を残酷なほど正直に写し出す。
いきおい、自分が前面に出る、大写しになる、という状況を避けるようになる。

またそうした人前に出るのにふさわしい、身だしなみの整った服を着ることができない。
式典で着るようなきちんとした装いは、多大な困難をともなう。
頭、顔、首の湿疹や乾燥で、濃色の衣服の肩には皮屑がふけのように舞い落ちて汚く見える。
ワイシャツにネクタイを締めた首や、和服の隙間ない厚い襟からは、痒いときに手を入れて掻くことができない。
女性に生まれて良かったと思うのは、何よりスーツにネクタイで首元を縛らずにいられることだ。
とはいえ、女性にはまた女性なりのお仕着せがある。
毛のタートルネックや、やウールのタイツ、ナイロンストッキングが拷問になるときもある。


アレルギーになりやすい体質は、職業を選ぶ際にも作用する。
手を傷める飲食店業や理容・美容師、動物を扱うこと、ラテックス、蕎麦、小麦・・避けるしかない。
だったら、そうした仕事にはつけない。

そうして節制していても、不調はいつ来るかわからないので、先の予定が立てられない。
こりゃダメだというときキャンセルできないような、正式な用事は極力避ける。
仕方がないときは溜め息つきつつ、せめて前後にできるだけの休みを入れ、あとは天に祈る。


楽しむための出来事さえ、しばしば逆に苦痛になる。
温泉旅行でゆったりしたいなぁ、と思えたことはない。
入浴は、弱い肌がかろうじて保っている動的平衡に激しい揺さぶりをかけなくてはならない、
アトピー患者にとっては日常の中の一大事なのだ。
たとえ他人が見て分かるほど荒れてはいなかったとしても、
本人の皮膚の中の神経は、刺激を感じて悲鳴を上げ続けている。

でも、付き合いの悪い人にはなりたくないから、頑張るしかない。

スポーツで汗をかくのが辛い。
掻き傷にしみるプールや海に行くのが辛い。
一方で代謝促進や紫外線は皮膚の改善に役立つはず、できることはしなくてはと思う。
するから皮膚が刺激されて痒いのか? しないからいつまでも良くならないのか?
二重縛りにいつも心が苛(さいな)まれ、揺れ続ける。


精神の不調などもそうだろうが、皮膚の不調は程度の客観的評価が難しい。
「不調で辞したい」と申し出るとお決まりの反応は「高熱があるから無理、と言うならわかるけど・・
皮膚が調子悪いだけなら、薬を使えば治って来られるんじゃない?」

因幡(いなば)の白兎の苦痛の度合いは、うさぎ自身にしか分からない。
這ってでも行こうと思って行けるときもあるのかもしれない。
しかし、そんなことが長続きするわけはない。
といって、何日休めば回復する、という見通しも立たない。
アトピー患者の皮膚はいつだって戦場で、損傷が修復される一方で、果てしない再燃が繰り返されている。


あらん限りの努力で悪化を避けてなお、四六時中なんとなく、ときにはとてつもなく痒い人生。
そんな人生を、アトピー患者たちはみんな必死で生きている。

厳しい冬に耐えた後の、暖かな春の訪れ。
その春に、耐え続けて来た人たちの人生が、花開きますように。

2022.04  


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