[ハイカ利用停止;ETCへの懸念]


. 私は車(自動車)の運転が好きだ。

乗っているのは1500cc、ハッチバックのトヨタのオートマ車。
運動神経が鈍いわりには運転は下手でもないと思うし、安全に車を運転するための心得はひととおりわきまえているつもりでいる。
日本自動車連盟(JAF)の雑誌JAF MATEの、危険予知クイズのページが好きだ。


車への思い入れはいろいろある。

かつて医師現役時代には、不定期な時間と場所の仕事のため、いくつもの病院によく車を運転して行った。
その頃の悲喜こもごもの思い出が車とともにある。好きな音楽を聞きながら、ひとりの車中で揺れる気持ちを立て直したことも一度や二度ではなかった。
病んでからの回復初期にはまた、容易に動かせない体の大事な足になってくれたのが車である。

最近では、自由に歩けるようになり、定まった通勤先もなく、地球温暖化への加担や車内化学物質の影響も気になり始め、折しも車が増えて道路の渋滞も激しくなったので、車を運転する機会はめっきり少なくなった。

それでも、たまの遠出の用事で高速道路を走ったりする時には、爽快な気分になる。
走行性能と安全と快適性を追求し続ける確かな技術によって作られた車体、計算された機能的幾何学的な道路の風景。どちらにも人間の知恵の美学を感じる。

文明社会の弊害にさまざまな不自由を感じている日々の中でも、こんな時には、車の機能性を愛し、これを体験できる時代に生を受けたことの幸運を感じずにはいられない。


そんな私にとってこの頃気になるのは、ハイウェイカード(以下ハイカ)の利用停止問題である。

いや、問題というほど話題にされることもなく、今年3月いっぱいをもって、それは静かに遂行されようとしている。そのことが私には、何だか気になって仕方がない。


文明が進み機械が発達すれば、自動化が進むのは理だ。
金銭の授受においても、直接の現金の受け渡しは減少し、カード処理、銀行決済という間接的なものに切り換えられていく。
その進化の段階はさしずめ、まず現金決済、次いでプリペイドカード、さらにカードや機械を通した銀行引き落とし、という3段階に要約されるのではないかと思う。

今、高速道路の料金授受は、2番目のプリペイドカード(=ハイカ)から、3番目の銀行引き落とし(すなわちETC)に移行しようとしている。そう考えれば全く自然の経過で、当たり前のことが行われているだけかもしれない。
でも、そう単純に納得してしまっていいのだろうか、と思うのである。


感じるのは、「一方的過ぎるのではないか?」「急ぎ過ぎているのではないか?」というひっかかりである。

道路公団は、ハイカの利用停止の理由として、偽造の増加を挙げている。
だが、それはハイカだけでなく、あらゆるプリペイドカードの問題である。どうしてハイカだけが対処できないのか?。技術によって偽造問題を克服する能力と意欲を、日本人は持っているはずではないのか?。なぜその努力をしないのだろう。

そこに私は、ハイカはもはや必要のないものである、という判断を見る。
なぜ必要ないかというと、ETCがあるからである。すなわち、ETCの利用を推進しようとする意図がそこにはある。
そう感じられるから、私にはこの決定がうさんくさく見えてならない。


ETC装置を搭載していない車は、小銭をちゃらちゃらさせて現金で料金を払うしかない。それが嫌ならETCを買いなさい、ということになる。
この姿勢は一方的ではないだろうか。
消費者に暗にETC搭載を強制していると言ったら、言い過ぎだろうか。


一方的な姿勢は、利用停止の広報のしかたにも表れている。

私は2005年9月10日に高速道路を走った。
朝の行きの時にはなかった垂れ幕が、昼過ぎの帰りの時には、料金所の上り下り両側に掛かっていた。そしてそれに、ハイカの販売停止、利用停止と、その期日が書かれていた。

寝耳に水の話に、ハイカ利用者の一人である私は大変驚いた。販売停止日まですでにわずか一週間しかなかった。
料金所の事務所に、利用停止を告知するパンフレットがあった。

以来高速道路の走行途中と料金所に、この告知が貼付けられている。
しかしそれ以外に、新聞、テレビ、街中などでは、このことを広報するものを、今日まで私は一切見ていない。
意図的に広報を控えているようなふしが感じられてどうにも不愉快なのだが、これは私の穿った見方なのだろうか。


道路公団はETCの利用を推進したいらしい。

記者会見で達成目標を挙げたりしているし、昨年秋に新聞の全面広告も見た。

その広告によると、ETCを利用する車の延べ数が約半数に達したという。だから、「さあ、あなたも乗り遅れないうちに是非どうぞ」というのが広告の主旨である。
しかし、この数字の意味することはなんだろう?。逆に言えば、半数の車はETCを利用していないのだ。

さらにこれが延べ数なら、そこには統計の目くらましの可能性も考えられる。
もし仮にETCをつけていない一般車5台が通る間に、ETCをつけた1台の輸送トラックが5回料金所を通ったとすれば、実際は6台のうち1台しかつけていないにもかかわらず、統計の結果は50%搭載となる。高速道路の利用頻度の高い車ほどETCのメリットは大きく、当然つけようと思う確率も高いだろうから、こういうことは充分にありうる。
延べ数をもって、搭載した車の実数のように語るのは、誤りである。


おそらく公団の宣伝する程には、ETCの普及はまだ進んでいない。
それは当初の彼らの予想を大きく下回っているらしい。それゆえ彼らは普及を急ぐのだろうとも思う。

でも、ちょっと待って。そもそも、増えないものを、それほど無理して増やす必要があるのか?。
大金を投じて施設を先に造ってしまい、後から人間をそれに合わせようとするのは、野心ある大人の悪い性癖だ。
増えないにはそれなりの理由が必ずある。それ自体が、急ぐべきでないことを示す証左だと私は思う。

数合わせを急ぐよりも、増えない理由の根本的な部分に気付き改善していくことが、どうしても必要なことなのではないか?。
真に良い必要なシステムになれば、誰でもそれを利用する。宣伝の必要さえなくなるだろう。


私が考えるに、普及しない理由の第1として、車に搭載するETC装置自体の利便性の問題がまず挙げられると思う。

装置の購入費用、大きさ、機能、取り付けの手間などの問題である。もちろん当初よりはずっと改善されているだろうし、今後も改善は進むだろうが。
高くて買いたくない或いは買えない、邪魔になる、つけることが面倒、などは全て、買わないことを選択する理由として充分である。


また第2に、多くのドライバー、特に一般ドライバーにとって、高速道路は日常的に頻繁に利用するのものではない。

そんな人たちにとっては購入のメリットは乏しく、現状では到底デメリットを上回れるようなものとは思えない。
そうした人たちにも道路公団は搭載を期待しているのだろうか?。それはどうにも不合理な気がするが。


この第1、2の問題は、最終的に、たとえばETC装置が全ての購入する車にあらかじめ安価で組み込まれているようにでもならなければ、おそらくクリアできないものだろうと私は思う。


そして理由の第3として、これが私の最も強調したい点なのだが、安全面の問題があると思う。
料金所を止まらずに走り抜けることの危険、という問題が、充分にクリアされていないように思われてならない。


ETCの設置以来今日までに、料金所の職員数人が、はねられて亡くなっているという。
止まる車がいる一方で、走り抜ける車がいる場所というものは、実に中途半端な場所なのだ。


はね飛ばされたゲートもある。
電車の駅の自動改札が閉じられた時、それを壊して通れるような鉄人はまずいないだろうが、車ならばそれは比較的たやすい。

かりに悪意がなくても、歩く人と違ってスピードが出ているので、上がると思っていたゲートが上がらなかったなどの予想外の事態があれば、止まりきれずにぶつかってしまうこともあるだろう。
状況に応じて機械操作により上下するゲートがうまく作動しない可能性は、つねにある。

現在料金所を通る時に見ると、ETCレーンには、時速20km以下で通るように指示する電光掲示があるようである。しかしその実効性はどうなのだろう。
つい今しがたまで80kmや100kmを出して走ってきた車のドライバーのスピード感覚では、うんと減速したつもりでも、30kmや40kmは出ているのではあるまいか。


要するに、走る車と止まる車が混在するシステムというものが、非常に危ういものだと私は思っている。
そこには必ず、走ると思った、止まると思った、来るとは思わなかった、ゲートがふさいでるとは思わなかった、といった、予測による期待と起きた現実の不一致に起因する事故が起こりうる。

実際私は、ETCレーンを安全に運行することは、不可能なのではないか、とさえ実は思っている。
だから私は、ETCレーンを走行する車になりたくないのだ。
充分な減速をせずに人をひいたりゲートに衝突したりしたくないし、逆に減速し過ぎて追突されるのもご免だと思う。


こう書いてくると、混在がいけないのなら、全部走る車にすればいい、と反論する人もいるかもしれない。

全ての車がETCを搭載し、料金所で止まらないようになったらどうだろう、料金を徴収する職員はいなくなるのだからひかれることもないし、皆が一定のスピードで通り抜けるので、追突もまず起こらない。
安全である。

道路公団がETC利用車の割合を増やすことに熱心なのは、まさしくこれゆえなのかもしれない。それもひとつの考えである。
そしてそれがおそらく、SFのように私たちが思い描く、未来社会の予想図であるのだろう。


けれど私には、まだ私たちはその未来に届くところまでは来ていないような気がしてならない。

現行のETCは、ノンストップとはいいながらも、料金を払わない車は閉じたゲートで止めるシステムである。それはどの車がいつ止められるかも分からないということだ。結局、止まるかもしれない車と、上がらないかもしれないゲートを警戒して、常に徐行するしかない。
とすればそれは、全部走る車のシステムではなく、やはり走ると止まるが混在するシステムでしかないと私は思う。

不払いの車をゲートで止めるのではなく、走らせたままで、料金を徴収するか懲罰を与える方法、もしくは料金所を不払いの車が通ることがあり得なくなるような方法。
もしそんな方法が開発されたなら、その時はじめて、ETCは安定した安全なシステムになれるのかもしれない。

そののちになってこそ、私たちは、高速道路のノンストップ走行を通常のシステムとして享受する段階に入れるだろう。


年末年始の高速道路の渋滞はさほどでなかったようだ。
このことにETCシステムはどの程度寄与しているのだろう?。
こういう不特定多数の車とドライバーが利用する時の、ETCの利用率こそ、教えてほしいものだと思う。

料金所で車を止めて清算する、ほんの数分にも満たない時間を省くことが、果たしていったいどれほど、車の流れを円滑にし、渋滞を防ぎ、目的地へ着く時間を早める効果をほんとうにあげうるのか、またあげているのか、私はとても興味がある。

あいにくETC利用者が周囲にいないので聞くこともできないが、それらの人たち、特に先を急ぐ競争の激しい輸送業の人たちなどは、実際に効果を感じているのだろうか?。

車を運転する者の体感としては、一度追い抜いたつもりでも、結局流れに乗って走ったり渋滞に会ったりする過程でまた相前後し、最終的に目的地に着く時間はいくらも変わらないというようなことはよくある。

また、料金所手前が渋滞するほど車の数が多いのなら、ETCで止まらずに料金所を通れたとしても、結局その先で多過ぎる車が渋滞しており、渋滞する場所が変わるだけ、ということになったりはしないのだろうか。

首都高速など極端に交通量の多い所では、手前の料金所で止められることが、ある程度、高速内の車の量の行き過ぎた増加を防止してくれている面もあったりするのではないかと思う。

そう考えると、ETCの普及が増えるに従って、また新たな渋滞の名所が出てきそうな気もする。

とはいえ、上り坂のために全ての車のスピードが無意識のうちに少しずつ落ちるだけで渋滞が発生することもあるというから、止まらずに行けるということの、流れを円滑にする効果は、かなり大きいのかもしれない、とも思う。

実践とともに、その効果の詳細な検討が必要だろう。


自動料金授受システムに向かう流れは、時代の流れの大筋としてはおそらく正道なのだろう。

だから私は、ETCシステムを否定はしない。しかし、ここまで書いてきたように、安全性を主体とした問題があり、全面的な移行には絶対的に時期尚早なのではないか、というのが私の考えである。

それゆえ現在では、過渡期として、システムの混在は避けられない。
そして、消費者たる個々のドライバーに、どれを使うかの選択の権利が委ねられるべきである。


その意味で、ハイカの利用停止は、不適切な決定なのではないかと私は思う。

もし偽造阻止のためやむなく利用停止するのなら、利用者の利便性を考えて、それに代わるプリペイドのシステムが用意されるべきなのではないかと思ったりするのだが、それは我が儘な望みなのだろうか?。
そんな必要がないほど、ハイカを利用するドライバーはすでに少なくなっているというのだろうか?。

ETCの利用率を広報するなら、比較のために、ハイカの利用率もともに公表してもらえないものだろうか。


ETC車のみ対象の深夜割引の開始時間を待って料金所手前に違法駐車する大型トラックが急増し、危険だと問題になっている、というニュースをご存知だろうか?。

私はこれを知って、暗澹たる思いにかられた。
根本の問題の解決を図ることなく、とりあえずお金で消費者を吊って利用者を増やせばいいという浅知恵が招いたのが、この事態である。
ハイカの利用停止でも、また新たな問題が起きなければいいと思う。


私の心情としては、結局のところ、道路公団がETCの普及にどうしてそれほど情熱を注ぐのかがよく分からない。
利用者の利便性や、何より大事な安全を犠牲にしてまで、急ぐべきこととは思えない。

ゆっくり、自然に、移行していけばいいと思う。何年かかっても何十年かかっても、それが円滑で、危険のない方法なのではないだろうか。
システムが成熟して、真に安全で有益で魅力的なものとなれば、無理強いしなくとも、利用者は自然に増えていくだろう。


2006.1  

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