[脱ステロイドの人生訓]




. 大学時代、京都を旅した時のこと。
化野(あだしの)念仏寺に、仏具や土産物に混じって、こんな標語を書いた紙が置いてあった。

  あせるな
  おこるな
  いばるな
  くさるな
  おこたるな

由来も、寺との関係も分からない。
ただその内容に感じ入って購入し、帰って来て自室の壁に貼っていたのを、覚えている。

私には、座右の銘というほどのものはないのだけれど、もし挙げてみろと言われたなら、これになるかと思っている。
「人生かくあるべし」と思って心に刻み込んだこの言葉であるが、この頃、「脱ステもまた、かくあるべし」ではないか、という思いを抱いている。 それを書いてみよう。

     ***


 1)あせるな(焦るな)

脱ステロイドの道は、とても長いと知るべきだろう。
自然治癒というものは、あきれるほどゆっくりと進行する。
しかしそれが、無理のない、あるべき形の姿なのである。

ゆっくりと自然に達した平衡状態は、手堅いものだ。
薬を切らせばすぐに失われるような、もろさはない。

例えば「1か月で改善し、半年で快癒しないと。」などと思っているなら、脱ステロイドはあなたにとって、苦しいものとなるだろう。
「治れば、そりゃあいい。だけど、治らなくてもいいや。もっと言えば、悪化したっていい。それでも私は、なんとかやっていくだろう。」・・・そんなニュートラルな姿勢でいるのがいい。
そうしたらきっと、いろいろな幸せに気付くことができるはずだ。

この病は、あなたに降り掛かった、宿命である。
宿命を嫌い覆い隠そうとしてみても、それは変わらずそこにあるだろう。
ただ、静かに対峙(たいじ)しよう。


 2)おこるな(怒るな)

人間、不遇な状態にあると、その鬱屈した感情が、怒りへと向かい易くなるものである。
今日の悪化を作った原因と推測されるものどもへ、やれ、「あれのせいだ。」「あいつが悪い。」と恨みを燃やす。

状況改善への具体的努力か、闘病に耐える意欲かに昇華できるのなら、それらは有効かもしれない。
だが、そうではない、感情としての怒りそのものは、むしろあなたの心身を害するだろう。

「環境が悪い。」「会社が悪い。」「世の中が悪い。」「医者が悪い。」「家族が悪い。」と、いくら叫んでみたところで、喜んで聞いてくれる人など現れない。
だって、聞かされる人は、嫌な気分になるだけだから。
まともな人で、進んで嫌な気分になりたい人など、いやしない。

あなたは、怒りをふりまき、周囲から敬遠される存在になりたいだろうか?。
もちろん、そうではないに違いない。

実際のところ、状況改善の建設的方策を練るために必要なのは、感情的な怒りではない。
必要で有用なのは、冷静な状況分析だ。

まずその怒りの対象には、本当に悪い面しかないか、考えてみよう。
自分には見えていなかったいい面があるかもしれない。
これからそれを、育てていけるかもしれない。

どうしても自分にとって害にしかならないと判断したら、それと距離を置く方策を考える。
そのものを無くさなくても、自分がそれと接さないでさえいられれば、問題ないかもしれない。

それでも尚、それに対して怒り続けるのが、対象を責めることが正当だと思うなら、陰で揶揄(やゆ)するのでなく、堂々と正面切って闘うがいい。

自分の中や周りだけで、怒りを増幅させているように見受けられる人は、案外少なくない。
それは本人にとってたいそう不幸なことなのではないか、と私は案じる。


 3)いばるな(威張るな)

誰しも、自分は特別だと思いたい。
自分の決断は、間違っていないと思いたい。
それは時に、ある種の勘違いに繋がり得る。
「自分だけがちゃんとしている」、という勘違い。

患者の方なら、誰しも経験があるだろう。
「私はこれで治ったよ、この治療はいいよ、他のじゃだめだよ。」と押し付けてくる元患者ほど、うっとうしいものはない。
それほどではないにしても、「私のこの治療じゃなきゃだめだ。」と、患者の気に染まぬ治療をひたすら力説する医療者も、同じような印象を与えているのではないか、と思う。

自分が間違っていないと主張するのに、他者が間違っているとする必要はない。
私は思う。「脱ステロイドが標準治療より偉い」ということはなく、「標準治療が脱ステロイドより偉い」ということもまたない、と。

医者が、「自分だけが治せる」かのように思うのも、患者が「自分だけが上手いこと治った」と思うのも、どちらも威張っている。
端から見れば、うっとうしいピエロではないだろうか。
脱ステロイドがどんなに上手くいったとしても、そうはならない方がいい。

粛々(しゅくしゅく)と、ただ自分の信じる道を進むがよい。
善意から、自分の行い信じる方法を広めようとするのも結構だが、決して押し付けにはならないようにすることだ。
頑張った自分をほめたり、上手くいった結果を喜ぶのはいい。ただ素直にそうしよう。

自分が特別に偉い存在だと思ってはいけない。
世の中に、頑張っている偉い人は、いくらでもいるのだ。


 4)くさるな(腐るな)

くさるとは、思い通りにならない結果に、滅入ったり投げやりになったりすることである。

脱ステロイドとはすなわち、簡便でよく効く薬の放棄に他ならないから、その経過は、厳しいものであるのが当然だ。

害になっている薬を止めさえすれば、すぐ薔薇色の未来が来るなどという考えは甘い。
離脱の苦労を超えても、元々のアトピーをどう処理していくかという、大きな大きな課題が待っている。
それは、世界中の人が格闘し続けて、今なお良い答えを出せずにいる課題だ。

だから、経過が思わしくなくても、落ち込む必要はない。
それは、ごく普通のことなのだ。あなたが、特別にへまな訳では、決してない。

希望はある。
それは、自然治癒力に。それを助ける時の流れに。そして自分の体を大事にしようというあなたのたゆまぬ努力に。
少なくともあなたは、自分の体に与える害を、できるだけ少なくしようとしている。その心がけを、密かに誇りとしよう。

今の苦しみも、いつか思い出になる。
気に病み過ぎないようにしよう。
1日1日を乗り切っていけば、その先に未来は、きっとある。


 5)おこたるな(怠るな)

脱ステロイドという言葉そのものの意味は、ステロイド(やプロトピック)を止めることである。
それだけでは、何もしていないことになる。
アトピーの改善という目的のために、強い薬を肌につけることの代わりにいったい何をしようとするのか、それが問題だ。

生活の改善。環境の改善。飲食の改善。心の姿勢の・・・エトセトラの改善。
何でもいい、何かを、おそらく1つでは足りない、いくつもの何かを、あなたはしていくだろう。

それらは、即座に結果を出してくれるものでないことが多い。
しかし、だから「効かない」と、すぐに投げ出してはいけない。

あなたが日々していることの全てが、あなたを形作っていく。
より良い自分を形作っていこう。



     ***

脱ステロイドの心境は、姿勢は、かくあるべし。

どうぞ負けないで、どうぞ気張り過ぎないで。
あなたが幸せに生きていけることを、私は望んでいる。


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