[病人のぼやき:その後]



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年を越す前に、先の記事でご心配を掛けた私の体の、その後の経過をお話ししておくべきだろうと思い、これを書いている。

結論から言うと、9月に落ち込んだ体調は、約3カ月余りの間変動を続け、12月に入ってどうやら落ち着きを見せてきている。

原因はやはりたまった疲れと、その元にもなった、今年4月からの生活時間帯の変化であったようだ。


アトピーが激悪化して、あまりの皮膚の痒み痛みのため、普通に朝から起きて活動することができなくなって以来、いつの間にか7年もの年月が流れてしまった。

この間にリセットされてしまった私の生物時計を元に戻すのは、思っていたより遥かに大変な、長期間の努力を必要とすることだったようである。

(このことは、いずれまた "私の今まで"の第12章として書くことになるであろうが。)


自律神経系の反応が不充分のため、起き抜けに脳の血流が低下し、頭がぼうっとして重くなる。
そこで食事をすると、胃腸管に血流を取られる分、脳の虚血はさらに強くなり、めまいがする。
心臓はそれを補おうと心拍数を増し、動悸が生じる。


鼻閉感も、どうやら鼻のアレルギーではないらしかった。
なぜならそれが生じるのは、決まってこの、頭が重くなる時だった。
どういう機転かは分からないまでも、やはり原因は循環動態の問題と思われた。

鼻の奥の上には脳がある。
推測してみるに、脳へ行く動脈の血流が損なわれているばかりでなく、脳からの静脈の排出や、脳脊髄液の還流もまた、調節が不充分となり、損なわれていたのかもしれない。
その結果、脳が幾分か浮腫性となって、鼻の奥への圧力の上昇として感じられたのだろうか。

鼻汁が多いために詰まっているのでないなら、鼻をかんでも何も出て来ないのも道理である。


そして、胃腸の動きは、大変に悪くなっていた。
1回ごとの食事が、試練とも賭けとも思えるような有様だった。
食事を始めると動悸がするのは、この動きたくない胃が、無理に動けと刺激されることへの反応でもあっただろう。


さしもの強情な私も、今回は、どうしていいか分からないという気持ちだった。
理屈は分かっていても、治まらない症状が耐え難く、それを少しでも抑えなければ、強い焦燥感につぶされてしまいそうだった。


私はカイロプラクティック治療の助けを借りた。
お陰でなんとか乗り切ることができた。

人に治療して貰えるということは、本当にありがたいことと改めて思う。
少しずつ胃と腸管が動き始め、鼻閉感も和らぎ、体が回復の方向へ向かい始めた。

消化管のガスによる張り感や痙攣が再燃したり、油ものが消化しきれず気持ち悪くなったりもしたが、4カ月経ってようやく食欲も普通に感じられるようになってきた。


体力と相談しつつ、週1〜2回から2〜3回へ、朝からの外出を増やしつつある。
血圧は大分安定して来て、動悸はなく、少し頭は重くなるものの目眩までは起こらなくなって来ている。


という訳で、3〜4カ月かかって一山超えて、体がひとつ上のステップに登ることができたようである。
まずはめでたしと言ってもいいだろうか。


しかしいつまで経っても、あそこが駄目ここが具合悪いと言ってばかりで、我ながら実にじれったく、また情けない我が身と思わずにもいられない。

それでも、こうした日々の経験から思うのは、「病気であるのに病気でない振りをしようとしてみても、やはりそれは無理な相談」ということだ。

自分を卑下せず、地味だが力強い体の回復力を、信じて生きていきたい。
来年も、ゆっくり焦らずに、何が起きてもくさらずに、そしておごることなく。


皆様にとっても、どうか進歩と幸の多い新年でありますように。


2004.12.  

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