< 変な外食 >

-肉だらけ。野菜はどこ?-



数年前、夕食を食べに行ったイタリアンレストランでのこと。

ライスの他におかずとして肉のソテーを注文したら、なんと付け合わせの野菜も芋もひとつとしてなく、ただ肉の固まりだけが真ん中に乗ったお皿が出て来て、大変に驚いたことがある。

「ご飯と肉だけ?、こんな献立、ありなの??」と−。

★  ★  ★  ★  ★

図1は、先日行った皮膚科の学会での、会議場で出た昼食弁当である。
蓋を開けてこのメニューを見た時、前述の数年前のレストランでの出来事を思い出した。

献立は、図の左下から時計回りに、梅干しの乗ったご飯・海老寄せフライ・鮭のソテー・鶏肉のソテー・帆立貝のソテー・豚肉の中華風炒め・ブロッコリー・ミニトマト・メロン・漬け物・ティラミス。


多品目で一見豪華なようであり、実際食材も味もそう悪くもないのだが、とにかく驚くのが、おかずの殆どが主に蛋白質を含む食品である、肉と魚介ばかりで占められているということ。
それも油で調理したものばかりである。
これは食べるとかなり体に重い。


外食に野菜が少ないのは常識と思ってはいるが、それにしてもひどくはないだろうか。

何だか年々ひどくなっているような気がしてしようがない、昨今の日本の外食、それが今回のテーマである。
私の遭遇例から話をしたい。

★  ★  ★  ★  ★

図2は、昨年の、やはり皮膚科の学会で出た昼食弁当である。

左下から今度は反時計回りに、ご飯・鰆の味噌漬け焼き・鴨のロースト・ミニトマト・レタス一枚・帆立貝柱のソテー・肉団子・スパゲティのマヨネーズ和え・柴漬け・沢庵漬け・海老のチリソース・メロン・苺・グレープフルーツという献立である。


この時はホテルだったので、より高級な料理が並んでいて、味もやっぱり悪くはなかった。
しかし、肉と魚介に著しく片寄っているというところは、何故だかこの時もまるで判で押したように同じなのである。

ベジタリアンでなくて良かった、食べられる物が殆どないところだった、などと考えて思わず苦笑したのだが、いや、実際笑い事ではないと思う。


そんな中、それでも日本食に欠かせない漬け物は残されていた。
やれやれ、少しは野菜が食べられるかと思いきや、これにもまた問題ありである。

沢庵は濃い黄色、柴漬けは赤紫のいずれもどぎつい色で、周りに色移りする程に染められていた。
合成着色料だ。
それらはもちろん安全性に問題がないとして使用が許可されているものではあるのだが、何ら栄養でも必要なものでもなく、長期・大量・多種の摂取による人体への影響には懸念があり、できることなら体に取り込みたくはないものである。

ところが面白いことに、この図2のみならず先程の図1のケースに於いても、漬け物はピンク・梅干しは真っ赤で、やはり周りに色移りするあざやかな合成着色料の色に染められていたのだ。

それはまるで、弁当に於いての決まり事ででもあるかのようである。

★  ★  ★  ★  ★

これほど蛋白質と脂質ばかりで、ビタミン・ミネラル・食物繊維は僅か、しかも合成着色料のおまけ付きの食事。
どうしてこんなものがはびこるのだろう。

こういうものが体に良くないと考えることは、普通ではないのだろうか。
自明と考える私が、特殊なのだろうか。

もちろん蛋白質も脂質も、人体にとって不可欠の重要な栄養素だということは異論の余地がないだろう。
しかし過剰に取り過ぎた場合、それはどう働くか。
むしろ人体に害として働きうるということに、思い至らなければならない。


新谷弘実氏の著作「胃腸は語る」によると、成人の1日あたりの必要量として、蛋白質:(0.8から1.0g)×体重、脂肪:25から30gという数字が挙げられている。
こういう食事では、その値を容易に凌駕するだろう。

過剰な蛋白質は皆様ご存知のように不充分な消化のまま腸管から吸収されてアレルギーを促進させる可能性があるし、処理のために内臓などに多大の負担をかける。
脂肪は血液の粘度を増してその働きを損ない、血管を塞ぐ。

詳しい取り過ぎの害については、上記の著作の中に書かれている。
さらに氏は、日本人の食事がその傾向を強めていることに言及し、警鐘を鳴らしてもいる。


他人の口に入るものを作る生産者の人たちが、消費者の健康の心配を全くしない、ということもあるまいに、と思うのだけれど、それならばどうしてこういう弁当が作られるのだろう?と、私はとても不思議に思う。

例えば、多くの商品の中から消費者に選んでもらうためには、目立つ色の着色料で目を引き、アミノ酸の旨味を強調して媚びるしかない、と思っているのだろうか。
保存管理の都合や食中毒の心配から、傷みやすい野菜よりも扱いやすい肉・魚介を選んでしまったりするのだろうか。

売れさえすればあとのことはどうでもいいとか、一食くらいバランスを無視したってどうということはない、という考えの業者だからこういう弁当を作る、とは、思いたくはないのだが。


実際、昨今の外食産業を見ていると、外食でも、今までより野菜が食べられるようなメニュー設定の工夫も、一部に見られるようになってきているようにも感じられる。

例えばファミリーレストランのデニーズで野菜の多いメニューが幾つか出てきて続いていたり、ファストフードのマクドナルドでサラダがメニューに加わったり、モスバーガーで野菜スープとサラダが複数あるなどの例を見ている。

しかし一方、旨味の強い肉・魚介、そして卵・乳製品を含む蛋白質のものが食品の摂取量の中で占める割合が非常に増加している流れが、やはり主流となっていると思う。

伝統的な日本食(和食)が、高脂肪高蛋白質高エネルギーのいわゆる欧米食に比べて世界的にも健康食と見られて高く評価されている昨今、当の日本人が逆にどんどん欧米食に傾いて行っているというのは、全く皮肉な話である。

経済力を獲得した日本人の、グルメ指向のなせる技なのだろうか。・・

★  ★  ★  ★  ★

子供のメニューでは、事態はさらに深刻である。

彼らは店側にとって処理の楽な生野菜や、お客へのインパクトのあるメニューとなるきつい味のものは食べられない。
よって前述のような野菜メニューのある店でさえ、子供の食べられるような野菜メニューを準備することは、至難の技のようである。

ある店で見た、典型的なお子様ランチを、図3に描いてみた。

左下から時計回りに、鶏のから揚げ・ハンバーグ・海老フライ・レタス一枚・オレンジ・フライドポテト・ご飯(旗付き♪)・オレンジジュース。

いつも面白いなぁと思うのは、子供が食べないレタスや、日本で日常的に食べる果物ではないオレンジが、しばしばついていることである。
きっとこれもまた、見栄えと、調理する側にとっての扱いやすさが重視されていることの表れなのだろう。


そして、前出の大人の弁当に匹敵するくらいに、やはり蛋白質と脂質だらけである。
子供の場合はそれに糖分も加わって、さらに始末が悪いものになっている。

蛋白質と脂質と糖分でお腹を満たす献立。
そこには満腹感はあるかもしれないが、体を円滑に働かせるための栄養は乏しく、体を損なうもとになりかねない片寄った過剰な栄養ばかりがあるということになる。

未来を担うべき子供たちにとって、食事がこうしたものというイメージになっていくことは、非常に危険なことではないだろうか。

いずれお子様ランチを卒業する彼らは、その後いろいろな大人の食事の味を知っていくだろうが、その原型としてのイメージは強く彼らの中に残存するだろう。
そして、彼ら自身の生涯にわたっての食習慣に影響する上に、さらに次の世代を同じ食事で育てることにも繋がって行くのではないだろうか。・・

★  ★  ★  ★  ★

そうして最後に、本来望ましいものであるはずの和食でさえも、これらの流れに引きずられつつあると感じられるようなメニューのひとつを、挙げておきたい。


図4は、京都のおばんざいを出す店の献立の一つである。

左下から反時計回りに、ご飯・香の物・しじみ汁・おから・ごま豆腐・揚げ出し豆腐・春菊のてんぷら一かけ・茄子のてんぷら一かけが載っている。

豆腐に代表される大豆製品は、動物性蛋白と同様の栄養価を持ちながら、消化吸収の良い、優良な食品である。
揚げ出しと天ぷらを除けば、脂質の割合も少ない。
総合的に、今まで挙げたメニューよりはずっと体に良い選択とは言えるだろう。


しかしどうだろう、しじみ・おから・豆腐・豆腐と、ここでもやはり蛋白質づくしが起こっていて、野菜はほんとうに僅かしか含まれていない。
和食の代表食のひとつ、天ぷらは、外食でよく用いられるメニューであるが、その素材としても、えびなどの蛋白質ものがどんどん幅をきかせ、一方の野菜のものは彩りのための申し訳程度になっていっている傾向がある。

和食だから体にいい、安心と言うことも、段々難しくなっていくかもしれない。・・

★  ★  ★  ★  ★

さて、もちろん外食は日常的に食べるものでなく一時凌ぎなのだから、個々人が気を付けるべきなのは、第一に家庭で毎日作る食事であることは、当然のことである。

しかし外食も、単に店側にとって都合のいいものを並べただけでは成り立たない。
必ずお客である一般の人の嗜好を反映したものとなるはずだから、世の中で好まれている、よく食べられている食品の傾向を占う、ひとつの目安となるだろう。
そして、家庭の食事の傾向とも、相互に影響を与えあうはずのものである。

だから外食も、欲望を満たすことが主体のものばかりでなく、健康にいいものがもっと増えてほしいと思う。


肉ばっかりのお弁当では売れない、という世の中になって欲しいものだと思う。

消費者の多くが望めば、それも夢ではない。
きっと、現実となるだろう。

2005.5.  

トップページへ