過食は禁物



トップページに中年の女性と書いている私だが、このサイトを開設させて頂いてかれこれ17年以上、どう見ても中年ではなく高年の域に入ってきた。

それによって感じる大きな変化として、食事量が減ってきたことがある。
あるいは、少なくても大丈夫になってきた、と言い換えたほうが、現代人としては正しいのかもしれない。

元来、食が細いたちではあったが、それでも中年時代には、いろいろな美味しいものに巡り会い、ついつい食べた。
仕事が遅く終わってからだったり、インドア派でろくに運動しないのにご褒美はありがたく頂戴したりで、気が付いたら贅肉が付いていた。

不健康だからと、食の節制をしようと思い立つが、なかなかうまくいかなかった。

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何しろ、甘いものが大好物。
チョコレートやアイスクリームや餡(あん)には目がない。
食事は我慢できても、お菓子は止められないようなタイプだった。

それが今、これは食べてもいいものか、私の(欲ではなくて)体が必要としているものか、を考えて食べ物を選ぶようになり出して数年、だんだんと食べ過ぎを避けられるようになってきた。
逆にバイキングなどでたっぷり食べようと思っても、無尽蔵には食べられない。
もうこのぐらいにしておこう、と思うようになったのだ。

そして知ったことに、これっぽっちでは全然足りないだろうと若い頃なら思ったような食事量でも、不思議なことに、体はちゃんとまわっていくのである。
物欲がほしがっていたのはひたすらカロリーだったのか、と思う。

すなわち、糖質(炭水化物と砂糖)と油脂。
肉体の活動程度が減っていけば、自動的に必要量が減少するもの。
だから、肉体労働者ではない自分が、その摂取を減らしたとしても、体はそう、そのくらいで大丈夫、ちょうど良いよ、と言う。
偏らず食べて、必要なミネラル、ビタミン、食物繊維、そして体を作れるだけの蛋白や脂質などが担保されていれば、それ以上に体に必要なのは、消費可能な分量の熱量に過ぎないと、実感するようになった。

楽しみのデザートは、少しでいい。
多ければ取り分けて食べ、残りは後の機会としたところで、何の問題もない。
通常の栄養の知識と衛生の観念さえあれば、自分の食べる応分を考えた食事計画は可能である。

規則正しく空腹を満たす。
注目すべきは、自分のどこが今食べたがっているか。
それは食欲の名を借りた物欲ではないのか。
心を満たすため摂ることもありだが、それを言い訳にしてはいけない。
その栄養(カロリーも含めて)が、体にとって必要なのかどうかを、常に考えたい。
生存のためには、体に必要にして十分な栄養を摂り込んでいくことが肝要なのだろう。

. 新型コロナウィルスで若くして重症化されて亡くなる、傷ましい事例が相次いだ。
多くに基礎疾患があると言われているが、その基礎疾患の主たるものに2型糖尿病があり、そして2型糖尿病といえば肥満である(1型は体がもとからインシュリンを出せなくなることによる糖尿病)。

元来、血糖値を(飢えても)上げるホルモンは体内に複数あるが、下げられるのはインシュリンしかない。
人類の歴史は、飢餓の歴史だったから。
飽食の現代にあって、糖質や油脂などの過剰カロリー摂取を続ければ、いつか早い時期に体に備わったインシュリン分泌能力を超え、人は2型糖尿病を発症することになる。

過食から肥満、糖尿病へというサイクルは、多大な危険を孕(はら)む。
過食による肥満は、明白にコロナ重症化のリスク因子である。
コロナで亡くなった方が肥っていらしたかどうかというのは、なかなか表面に出てきづらいデリケートな個人的情報だし、若くて膵臓がまだ頑張れるから、糖尿病と診断されるまでにはなっていないが、すでに肥満はかなり進んでいるという予備軍であれば、さらに察知がされづらい。

体重コントロールは、コロナ対策の一環と認識すべきである。
なお、コロナ後遺症は痩せ型の人に多いそうで、不健康なダイエットでは本末転倒となる。

肥満は万病のもと、と心得たい。

2021.10  

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