絵に描いた専門医

厚生労働省が推進する新専門医制度の危うさ




私は皮膚科専門医。
これは日本皮膚科学会に認定されている資格だ。

今まで各学会が行ってきたこの各科の専門医認定が、まもなく第三者機関の一括管理による認定という新しい専門医制度に変わることを、ご存知だろうか。
関心をお持ちの一般の方は、めったにおられないのではないだろうか。

すでに一般社団法人日本専門医機構というものができているようだ。
新制度による研修は2017年度から、認定が20年からの予定である。

厚生労働省が第三者機関による一括認定へ移行させる理由とは。
学会ごとに独自基準で認定している現在の状態では、専門医制度が多数乱立してしまっており、その専門医の質にもばらつきがあるのではないか、という実情を是正するためだそうだ。
患者にもわかりやすい、一定の質が保証できる専門医の養成を目指すという。

新制度では、総合内科・外科・小児科など19基本領域のうちどれかの専門医を取得したあと(皮膚科もここに入る)、消化器病・糖尿病・アレルギーなど17のサブスペシャルティ領域専門医取得へ進む。

確かに、専門医制度がわかりやすく整理はされそうだ。
だが、専門医の質の改善が、厚生労働省の目指すようにうまく実現できるかどうかは別問題。
私は、質に関しては改悪になるのではないかと懸念する者である。

新制度による第1版の専門医制度整備指針が、すでにweb公開されているので読んでみる。
(http://www.japan-senmon-i.jp/document/140807.pdfで読める)
専門医のあるべき姿や、認定制度の詳細がとうとうと述べられている。

一読して、ピアレビュー、サイトビジット、サーベイヤー、ポートフォリオといった無駄な外来語が、理解を妨げてうっとうしい。
なんだか、ストレートに日本語で書くとひっかかりそうな微妙な部分を、外来語で逃げているように受けとれる。

これらをそれぞれ日本語に意訳してみるなら、ピアレビュー=同僚による再審査、サイトビジット=勤務先訪問監査、サーベイヤー=(訪問監査する)査察官、ポートフォリオ=自分の診療経験記録各種を1冊子にまとめたもの、となる。
ね、微妙でしょう。
養成教育というよりは、ほんとうに専門医にしていい人間かね、悪いことなどしてないかい、まるごと経験全部の報告を見ないと安心できないな、と否定的な目でチェックされている感じ。

コア・コンピテンシーに至っては、どうして「能力」ではいけないのか、苦笑してしまう。
専門医の到達目標として、学問的姿勢や医師としての倫理性・社会性をも含め、それらをコア・コンピテンシーと称しているようだ。

もともとcompetencyという英単語は、能力以外に適性という意味あいも含む。
コア・コンピテンシー(core competency)とはビジネス用語で、顧客に利益をもたらす、競合者に真似できないほど卓越した核となる能力のことを言うらしい。

だがそもそも医師の学び探求する姿勢や、医師として倫理を重んじ社会に適合していくことは、もとより競合の必要なものでもないし、「技術」や「能力」ですらない。
医師であるために必須な「資質」もしくは「適性」である。
専門医であろうがなかろうが、医師なら誰でも持ち、生涯維持し続けるのが当たり前。
もし備えていないならば、その者は専門医どころか、医師になる前に排除されていなければならない。

適性の問題を無理やり技能の問題に含めようとするから、耳慣れない言葉でごまかすような、こんな奇妙な作文になってしまうのだろう。

専門医認定とは、純粋に専門科の技能と知識の到達度を計るものであるべきだ。
もちろん専門医を目指す教育課程の現場では、師弟間で医師として社会人としての生き方に関わる教示もあるだろうが、それは他人に合否を評価してもらうような性質のものではない。
合格を目的とした倫理教育など、その時点で失格である。

まるで、道徳の授業に評価点を付けようとする文部科学省と同じ。
どうも、昨今の日本の教育は、中枢となる政府の考えがおかしくなっている。

教育再生実行会議や中央教育審議会が論じる大学入試改革がだぶる。
「脱・知識偏重」は日本政府の見果てぬ夢なのだろうか。
だが、大勢の若者の思考力や表現力を多面的・総合的に、入試の短時間で公正に完全に評価できると考えるのは、おごりに近い、机上の空論でしかない。
まさに、絵に描いた餅。

部活動やボランティアが大学入試や入社試験の評価材料とされれば、学生は試験での受けを考えざるをえず、課外活動をしたいかどうかという基準で選べなくなり、自由な学びの機会を奪われる。

課題を作り過ぎると、教育課程は課題消化に大きく制約される。
結果として、教育の自由度を損ない、せっかくの学びの可能性を学生から奪ってしまう。
現場で教えない者が机上で作る計画は、最小限にしてほしいものだ。是非とも。

そう、新専門医認定制度の一番の問題はそこだろう。
認定制度を営む者が第三者になるということは、今までよりも現場で医師を育てる医師から遠い存在の者に、認定の裁定が委ねられるということを意味する。

身内びいきがなくなって公平にはなるかもしれない。
が、現場の実情からかけ離れた、机上の理想医師の認定試験になってしまう危険がある。

医学は日進月歩。適切な治療という正解も、時々刻々と変化している。
そんな中で、現場からしばらく遠ざかっている者がもし機構の委員になり「○○科の専門医資格認定には、○年間に○○手術を○件以上、術者として行っていなければならない」などと一律に決めてしまうとしたら?
その基準がすでに時代遅れである可能性すらある。

病院の状況はその場所場所で違う。
患者層も果たしている役割も違うから、若い医師はいろいろな現場へ行って体験の幅を広げる。
それでも、医師の研修に患者を合わせるわけにはいかないから、現場で体験できる医療行為には、ばらつきが出ざるをえない。

だから、それでも専門医としてどうしても経験しているべき必要かつ十分な研修内容を決定でき、かつそれを医学の進歩や社会状況の変化に応じて適切に軌道修正していけるのは、その科の現場で日々診療している専門指導医しかありえない、と私は思うのだが・・・。
第三者機関である日本専門医機構が、認定の計画と遂行の細部に携わる人員として、各科の現役専門指導医たちを確保することが、果たして可能なのだろうか??

さて、新制度は、専門医認定のみでなく、認定後の専門医教育をも担うことになっている。
こちらの方はさらに心配だ。

現行の制度では、たとえば私たち皮膚科専門医は、現場の皮膚科診療を続け、皮膚科学会の実施する生涯教育講習会や、皮膚科関係の学会の聴講や発表や論文執筆で、数年ごとに専門医の更新認定を受けている。

こうした講習会や学会は、医学文献情報と並んで、専門医として求められる最新知識の取得に非常に有益だ。
その講演者や講師の設定も、専門家の情報網ゆえにこそ成り立っているのでは、と常日頃私は強く感じている。
新制度になって、果たして門外漢が、この生涯教育の質を維持できるのだろうか。

さらにもう1つ、看過されていると思う点がある。
医師教育は、学校教育とは異なり、職場における職業教育だということだ。
医師を教育する指導医は、教育専従ではないのである。

専門指導医には教育に向ける労働時間が確保されているわけでもなく、教育で給料がもらえるわけでもない。
教育の重責を担っているからといって、一方で自分の診ている患者に対する義務がなんら減りはしない。
教育は専門指導医たちにとって、責任ばかりあって実入りのない、余分の業務なのだ。

そんな専門指導医たちが情熱をもって若い後輩医師たちを教育するのは、指導医としての使命感・医療や患者や後輩への愛・善意ゆえに他ならない。
この指導医の責任感がそがれれば、専門医教育は成り立たなくなる。

同じく政府主導の2004年からの新医師研修制度によって、医師教育は大学病院という教育機関に限定されず、市中病院にも委ねられるようになった。
患者を診る臨床の仕事で忙しい市中病院の医師が指導医になり、すでに研修医が特段熱心で優秀でない場合には、指導医は教育意欲低下を避けられない、という事態が起きている。

そんな中、日本専門医機構のような発想で指導側の業務をさらに増やすなど、まさに愚の骨頂としか言いようがない。
サイトビジットは、忙しい診療業務を中断しての対応を強いる。
ポートフォリオを作るには、その内容全部に目を通し、更正が必要だ。
ピアレビューを書くのは、勤務時間外の残業仕事。
これらすべての今までなかった検閲仕事は、指導医たちに負担となってのしかかり、指導医たちの意欲をさらに損なうに違いない。

良質な専門医かどうか、第三者の目できちんと厳しくチェックしたという満足感を、政府や日本専門医機構は得たいのだろう。
その満足感は、専門医教育現場の破壊と引き換えにする価値があるものか?
もちろん、否である。

暖かい人間関係のある師弟教育の場が、今、葬り去られようとしているのかもしれない。
甘いという理由で。

この心配が徒労であればいいな。
医療を必要とし愛する全ての人のために。

2014.11.19.   



トップページへ