[シリコンスチーマーの鈍感]




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シリコン製の調理容器が流行している。

材料を入れて電子レンジで加熱するだけで、調理ができるという手軽さから、どこの店でも大々的に売り出し中。
キッチン用品売場のみならず、本屋でまでレシピ本とセットで平積み(ひらづみ)の勢いである。

ほんの数年くらい前までは、存在すらしなかったもの。
それが、ひとたび流行ると、あっという間に売り場を席巻(せっけん)し、他を駆逐(くちく)する。

「なんだってこんなものが流行るんだろうか?(>_<)」
私は、苦々しい思いでそれを見る。


一度、知人たちと食卓を囲んだ時に、これを持ってきた人がいて、その場で野菜をレンジで蒸して見せてくれた。

数種類の野菜が、たちどころに温野菜サラダに仕上がる調理器具。
鍋も火も使わずに、短時間で中まで熱が通って、器(うつわ)1つの洗い物が出るだけ。
噂通りに、便利なことは、この上もない。

とはいえ、ご馳走になったその温野菜は正直なところ、あまりおいしいとは思えなかった。
多少だが、熱の通りにむらがあって、部分的に水っぽかったり固めだったりした。
もちろん食べられないような程度ではない。
手間なしなことを考えれば、容認すべきレベルであるのだろうか。

だとしても、それ以上に気に入らないことがあったのだ。
・・・臭い。
器も湯気も食卓も、料理全体が、なんとも言えずゴム臭かった。


この調理容器の材料、シリコン(正確にはシリコーン;Silicone)ゴムは、ケイ素化合物を主成分とする合成樹脂を、ゴム状態にしたものである。
「ゴム状態」とは、引き伸ばして形が変えられるのにまた容易に元に戻るという性質、すなわち弾性のことを言う。
従来ある天然ゴムなどは、高温では融けてしまうのだが、このシリコンゴムの場合は驚くべきことに、200℃を超える高温から冷蔵庫の中まで耐えられるのだという。

ゴムなのに、200℃に熱して大丈夫だなんて!
なんととんでもない物質が出てきたことだろう。


私の頭の中にある概念では、ゴムを高温加熱するなんて、とんでもないことだ。
買ってきた食品を、うっかり輪ゴムで止めた容器のまま電子レンジにかけたら、ゴムが融けてへばりついて、見るも無惨なことになった。
車のゴムタイヤの火事の、煙の汚さと異臭のひどさといったら、堪え難いものであることを、知らない人はいないだろう。

ところがシリコンゴムは、100℃に煮詰まっても、平気なのだそうだ。
100℃どころか、200℃近くで長時間使う製品が、普通に出回っている。
オーブンで焼き菓子を作る型まで、なんと最近はステンレス製からシリコン製に、置き換えられつつあるらしい。

200℃以上まで耐えられるんだから、180℃のオーブンで熱して、何か問題ありますかー?。
そういう考えなのだろう。
しかし・・。
しかし、本当にそうなのだろうか?。


シリコンゴム製のフィナンシェの焼き型を、娘が買ってきた。
ケーキを型から取り出しやすい優(すぐ)れもの、なのだという。

なるほど、この素材はケーキにくっつかないし、伸ばして簡単に隙間を作り、ケーキの形を崩さないで外すことができる。
今まで、ステンレスの型からはがすのに苦労していたのが、嘘のよう。
まさにゴムの弾性ゆえの恩恵。

それはそうかもしれないけど、ゴムをオーブンで焼いちゃうわけ??
瞬時にやけどするような沸騰したお湯よりもさらにずっと高温で、20-30分も?。
そんな、恐ろしい・・・。
私の頭の中には、焼け融けたゴムの鼻が曲がりそうな異臭のイメージが広がる。


果たして、調理中のオーブンレンジからは、もの凄い臭いが漂ってきた。
ケーキに含まれているカカオやココナツの香ばしい臭いがどんなに強くても、それに混じって発せられる焼かれたゴムの臭いは、異臭としか言いようがない。

(ところが娘は、そんな臭い分からない、と言うのだ。
アレルギー性鼻炎のために、臭いに鈍感な娘が異常なのか、
アレルギーのために、感覚が鋭敏過ぎるほどになっている私が異常なのか、
・・・たぶん両方なのだろうけれど(笑)。)

焼き続ける間中、臭いは放出され続けた。
私にとっては、隣の居間からすら逃げ出したく思うほどで、あの台所で調理し続けることなど、逆立ちしてもできないだろう。

そうして焼き終えて出してきた型には、いささかなりとも融けたり崩れたりした様子はない。
ケーキを外した後には、四角い凹みが続く元のままの形が、きれいに保たれていた。
怖い話ではないか?。確かに焼ける臭いがしていたのに。

そう思いながら、まだ暖かいフィナンシェを頂いた。
実際それは、かすかにだが確かに、ゴム風味だったのである。
移っている。容器から食品へ、ごく微量ながらも何かが、間違いなく移っている。
そして、私たちはそれを食べて、体に入れる。

できたての、手作りフィナンシェ。
もしこのゴム風味がなかったら、どれほどおいしいものだったことか。
まったく残念でしかたがない。


料理やお菓子と言えば、風味が命だろう。
余計な臭いをつけてしまう調理器具なんて、それだけで NG!だとは思わないか。
まして私たちは、素材の味を大事にする繊細な日本料理の国の者たち。
この美しい感覚という財産を、失っていい訳がない。

ゴム製品には、特有の臭いがある。
誰にとっても、わざわざ嗅ぎたいような好ましい臭いではない。

たとえどんなに便利であったとしても、譲れない線というものがある。
偏屈と言われようとも、私はそう思う。


シリコンスチーマーの臭いについてインターネットで検索をかけると、いくつもの記事にヒットする。
ほとんどが、臭いが付くという感想や疑問の声と、臭い消し法の伝授である。

それによると、シリコンスチーマーは、なんと容器が臭うかもしれないばかりでなく、料理の臭いが容器に付き残りやすいものでもあるらしい。

さらには、臭いばかりか食品の色も、容器に残りやすいのだそうだ。
どのシリコンスチーマーも、毒々しいオレンジ・濃ピンク・黄緑といった原色のものばかりなのを不思議に思っていたが(もともとのシリコンは無色である)、容器への色付きを目立たせないための着色であるらしい。

シリコンスチーマーの売り込み文句として、「きれいな色の食器で、食卓が華やかになります」というのがよく使われる。
けれどこう知ってみると、その文句は着色問題に気付かせないための「ごまかし」でしかない、ということが分かる。
よくもそらぞらしく言うものだと、開いた口がふさがらない。

悪い点は言わずに、長所のようなイメージを持たせる、言葉の虚構。
消費者が買ってから、実際に使ってみて色移りに気付いても、後の祭り。

なぜ正々堂々と、
「ちょっと色や臭いは移るかも。でもちょっとだし、手を尽くせばかなり落とせるし、さほど目立たないし。それより何しろ便利だから、使ってみませんか?。」
と言って売らないのか?。

そういう態度であれば、売り手の誠意を感じることはできる。
買う人ひとりひとりの、その人が何を重視するか、という選択にゆだねるのだ。


さて、どうしてシリコンスチーマーに、こんなに食品の色や臭いが残るのかだが。

気になってネット上を調べてみたところ、はっきりとした答えは見あたらないものの、組成や構造についての説明は、随所にあった。
それらを読んでいると、どうやらこれは、ゴム構造であるがゆえの性質なのではないか、と思えてきた。

ゴム状態の物は、弾力があり、伸びて、もとの形に縮む。
その縮むときに、接していた物質の一部を、自らの構造の隙間(すきま)に取り込んでしまうのではないだろうか。
そうして縮んだ後には、取り込んだ色や臭いのある物質を、ぎゅっと締め付けるように挟(はさ)んだ形になってしまうので、落とせなくなってしまう、というしくみ。

だとすれば、これはゴム製品の宿命である。
シリコンスチーマーが、シリコンゴム製である限り、逃れられない宿命ということになる。


さらに、ゴムが発する臭いについて調べてみると。

シリコン自体は無臭であって、臭いは、伸びてもきちんと戻るようなゴム状態の構造を作るために、橋渡しとして加えられる硫黄による、のだそうである。

当然のことながら、シリコンスチーマーにおいて、この臭いをなくす研究は鋭意行われているようだ。
すでに、硫黄の代わりに白金を使ったものでは、臭わないとされている。
しかし市場では、どれが硫黄なのか白金なのか、ちっとも分からない。

研究が進めば、このように素材や製法を工夫することによって、いつかまったく臭わない製品が作れるようになっていくのかもしれない。
かつては加熱できなかったプラスチックを主材料にしたレンジ容器が、今では当たり前になっているように、シリコンゴムの加熱も、いずれは問題なくなるのかもしれない。

しかし、少なくとも、現状では。

前に作った料理の臭いと色が残った器で、器のゴムの臭いがする食べ物を、食べたいと思うだろうか?。
否、である。


料理の異臭に、気付きもせず気にもせずに、料理を楽しめるのは、鈍感としか言いようがない。

そんな容器を、美辞麗句で飾って押し付けてくる業界もまた、横暴としか言いようがない。

私としては、シリコンスチーマーやシリコン型が、将来的に標準的な調理具の1つになれるとは思えない。
なって欲しくない、とも思う。


臭い以外の問題点も指摘しておこう。

加流に使われる物質や、色づけのために添加される色素。
それらが微量に融けて食品に紛れ込み、体に取り込まれることによる害はないのか?。
かつて問題となった、学校給食のポリカーボネート食器から融け出る環境ホルモン、ビスフェノールAのように。
その答えを、まだ私たちは与えられていない。

そして、ゴムの弾性そのものも、問題である。
加熱調理した容器を取り出したり移動したりする時に、容器の形が崩れて中身をこぼす危険性が、かねがね指摘されているのだ。
触れれば即やけどをするような高温の食品を扱う容器に、こぼし易いものなんて、言語道断。
そんな危険な調理器具を、どうしてわざわざ使わなければいけないのだろう。


私たちが生きる21世紀の社会は、物質と情報に溢れており、実にめまぐるしい。
次から次へと新しい刺激に誘われ、それらを取捨選択(しゅしゃせんたく)する作業に、日々追いまくられる私たち。
疲れと慣れが、安易な誤った判断に繋がるとしても、無理ないことかもしれない。

それでも、踏みとどまれ。
人間として、生き物として、見失ってしまってはならないものがあるはずだ。

見て、聞いて、触って、嗅いで、味わう。
五感は、私たちが物事を知り、楽しみ、取り込んでいくための、基本能力である。

商業主義に押し流されて、大事なその感覚を鈍らされてはならない。
機械ではないのだから、便利に短時間で栄養が摂れればいいというものではない。

シリコン調理具と料理。
お互いがお互いを汚す宿命にあるような、こんな組み合わせを、考えなしに受け入れてしまってはいけない。
立ち止まって、適材適所という言葉の意味を、もう一度噛み締めてみよう。

2011.8  

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