道のりを歩いて



何を求めて私は歩き続けてきたのだろう。
今、人生の円熟期に入り、先行きと来し方を想う。

ただ、健康になりたかった。 病気に煩わされない体になりたかった。

今、日々診させていただく患者の方々を見ても、それは同じである。
御しがたい我が身に戸惑い、苦悩し、救いを求めている。
人間は生きている限り、元気でいたい生き物だ。

. 社会は、個人の十分な活動性を前提としたがる。
パフォーマンスの高い者を賞賛する。

病や障害というハンディは、社会の生産性を上げるためには不都合な障害である。
誰しも社会に参画したいし、役に立つ人間でありたいとも考える。
だがそれを実現するためには、病む者は健常者より、思い悩まなければならない。

それでも、諦めず足掻こう。
そうすることによってのみ、人は、困難な自己実現へと辿り着けるのだと思う。
自分のしたいこと、できること、なりたいものへ。社会のために、同時に自分のために。
そんな紆余曲折を繰り返し、私もまた今の立ち位置へ行き着いた。

私の仕事である医師は科学者、施術者は職人だ。
その真実の探究や、技術の追求に、終わりはない。
果てなきその道を、人生かけて歩きたいのだ。
使えない人物と横道に外され、押しやられるのではなくて、である。
道を歩かせてもらうまでに四苦八苦を余儀なくされる人たちが、世の中にはいる。

社会や組織の中に入れば、周囲の期待に応えていく必要があり、それはときに過重な負担となる。
だが、人との軋轢があるということは、人の援助を得られうるということでもある。
働き方改革のご時世でもある。
無理なことは無理と言い、自分のできることを精一杯しよう。

自分という個性の人生を、全うするために。
欠陥があっても、生きていけるのだと。
倒れるまで無茶するのでも、他人の言うなりになるでもなく。
主体的にあり続けながら、手前勝手ではなく。

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2026.02.  

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