化学物質の氾濫






何の気なしにニュース番組を見ていたら、東京都町田市の廃プラスチック処理施設建設問題を報道していた。

安全性について問う記者への担当者の回答の中に、処理の過程で未知の物質が生じる可能性もあるとのコメント。
つまり、予想を超えた事態が起こりうるということだろう。
同市では過去2回、施設建設計画が住民の反対により挫折しており、今回はそれを警戒してか、住民への説明を控えるような行政側の態度も見られるかのようだという。

混乱と住民の不安。
難しい問題だ。


より都心に近い場所であるほど、高度な工業製品が多用され、人口密度も高いので、いきおい石油製品の代表格であるプラスチックの生産・使用・そして廃棄は多くならざるをえない。

一方そうでありながら、人家から遠い余剰の土地は乏しく、廃棄や処理をするのに望ましい場所というものがない。

ないのに、ゴミは出るから処理しなくてはならないという矛盾である。
行政側としても悩ましいことだろう。


ことに、日本のように、廃棄物の処理に対して国家としての一貫した明確な考えとイニシアチブが不充分で、事実上各地方自治体に判断と実行を任せてしまっているような国では、地方自治体の苦渋は充分に察せられる。

うろ覚えの記憶で恐縮だが、確かドイツだったかで、国の施策として、ペットボトルは洗って10回使用、現在の技術で処理のできない廃棄物を、缶に封印して地下深くに穴を掘って場所を作り保管している、という報道を見たことがある。

こうした国では、ゴミの分別が自治体ごとにまちまちで、しょっちゅう変わるなんていうことはきっとないのだろうな、と思うと羨ましい。


日本も、つまり日本の国や地方自治体の政治家も、むろんそれなりに地球環境について懸命に考え、それぞれのできることの中でよりよい方法を探っているのだとは思う。
それでも、それらはどうにも近視眼的に過ぎる気がしてならない。

政治家の任期が終われば、事実上その責任はもう問えなくなる。
しかし、その人の施策の影響は残る。
政治家は本来、そこまでの責任を担って決断を下すべきなのだと思う。
けれども、現実のしがらみや煩悩の中に毎日を過ごしながら、それを行うことは、たいそう難しいことだろう。

話を大きくすれば、ブッシュ大統領のアメリカが、2001年に地球温暖化防止会議の京都議定書から離脱したことなどをみても、その難しさは伺い知れる。
よく見えない地球の将来と、それをどの程度変えられるかどうか分からない取り決めよりも、自国の経済の当面の発展を重視しなければならない政治家の煩悩がそこにはある。


45億年前からはじまった地球は、その必然の歴史を刻んでいるのかもしれない。

悠久の時の中で生物が生まれ進化し、遂に誕生した人類は、その比類なき頭脳で文明を築き、発展してきた。
そして産業革命以降、石油を駆使する技術を獲得して、プラスチックを代表とする無限の可能性を秘めた便利な素材(いわゆる化学物質)と、膨大なエネルギーの源とを、手に入れることになったのだ。

20世紀の特に後半から今世紀にかけての地球環境の変化は、その結果、実に急激である。
今や10万種以上とも言われる化学物質が地球上に満ちあふれ、エネルギーの消費が温暖化を強力に推進し続けている。

一度便利になった生活から、もとの不便に戻ることは難しい。
私たちは、地球の持つ石油が枯れ果てるまで、それを使うことを止めないだろう。
時の針を逆に戻すことはできない。
長い目でみれば不可逆な過程を、おそらく私たちは歩んでいるのだと思う。


そんな中での、化学物質の害を減らそうという試みや、温暖化のスピードを少しでも緩めようという試みは、時代の流れを押し止めようという困難な努力である。
それは、地球の大きさと歴史の長さから見ればほんとうにちっぽけな、人間の浅知恵に過ぎないかもしれない。

しかし、だからといって手をこまぬいているわけにはいかない。
ちっぽけでも、かつて地球上に存在したあらゆる生物を遥かに凌ぐ知恵を持ち、かつそれを統御しようとする道徳心をも持ち合わせているのが、私たち人類なのだ。

少なくとも私たちがこの地球を破壊した努力と同じくらい、地球を救う努力をするくらいの責任はあるのではないだろうか??。






年末にあたりそうした思いをまた感じている。

10年以上前に居住する大型マンションの化学物質の攻撃を受けて以来、化学物質の臭いに危険を感じることが多く、弱くもある私なので、かなり避けることにも慣れてきているつもりでいたが、今年は改めて、予想もしていなかったもの、使わざるをえないものに強い臭いがして、面食らうことのあった年だったと、振り返ってみて思う。

化学物質が社会の中で確実に増殖している手強さを思わずにはいられない。
くわばらくわばら。


今年一年、私が感じた不快な化学物質のエピソードを、以下に、挙げつらってみる。



食品店の消毒(昨冬ノロウィルス感染による胃腸炎の騒がれた頃、急に消毒薬の設置が増えたように思った。
目についたのは、アイスクリーム店、クレープ店、たこ焼き店などの簡易食品店だが、きっとそれらでは作っている所が客から見えるというだけのことで、レストランなどもご同様なのかもしれない。
あるアイスクリーム店に一歩入った時、ぷ〜んと消毒の臭いが鼻を突いたのには驚いた。
人の口に入るものを作る以上ある程度仕方のない面もあるのかもしれないが、本当に消毒が必要なのか?、石鹸で手を洗うだけでは不充分なのか?という疑問を拭えない。
消毒薬を多用すれば、耐性菌を生じるリスクも増えるのだ)
治療院のトイレの芳香剤(1回入ると、帰ってからまで髪の毛が臭うのには、辟易する。
これも日本人の清潔志向のなせる技だろう。
排泄物の臭いのしない、きれいなトイレを皆が望む。
換気で対処できないものかと思うのだが、窓の少ない日本の建造物ではそれも難しいのか)
浮き輪のビニール臭(新品のビニール製品は、最近非常に臭いが強い。
以前ビニールプールを買った時もそう。
10日くらいさんざん日に干して、なんとか気にならなくなった)
大型オモチャ店の化学物質臭(新品のプラスチック製品があふれている場所。
ビニール製品が多く気温の高い夏はとくに揮発した臭気が強い)
量販店などの日用品売り場の化学物質臭(前から気になってますが、化粧品、浴用品、清掃用品、台所用品等々、化学物質のオンパレード。
最近では文房具売り場もかなり臭う。
必要な物だけさっと取り、できるだけ早く立ち去ることにしている)
自宅ウッドデッキ防水加工の塗り替え(キシラデコールという物質。「ある日、化学物質過敏症」の著者も、列車の枕木を利用した庭材でひどい目にあったと書いてあった。
家の外部に木を使うのは自然派な気がするが、実は防水防腐のための化学物質を思い切り染み込ませなければならないという逆説。
屋外ですぐ揮発してしまうから大丈夫かと思ったが、僅かな隙間から家の中に臭気が入り、2−3日は気分が悪かった。
お隣の方も臭かったでしょう、ごめんなさい。
次回は自然派塗料で、と業者の方は言ってます)
線香で舌のしびれ(前に、お線香や蚊取線香で反応すると書いたが(病人のぼやき)、今年、ずっと前に買ったお線香ではならないことが判明。
田舎の知人宅で浴びた蚊取線香の煙も大丈夫だった。
でも家にある、数年前のお葬式で葬儀屋にもらったお線香は変わらずしびれて、それを捨てたら仏間の臭いも快適になった。
誕生日用の、色と臭いのついたロウソクも同じようにしびれる。
どうやらこれも、線香の材料となる木や除虫菊ではなく、混ぜられている化学物質(香料か)であるらしい)
つやつやのりんご(頂き物なので、どこで買ったかは分からない。
真っ赤な皮があまりにもつやつやで嫌な予感がしたのだが、食べるともの凄くすっぱい奇妙な味で、とても食べられなかった。
ところが他の人は、普通のりんごの味だと言う。
農薬か、ワックスか、とにかくりんごに振りかけられたものに私はアレルギーなのだろう。
皮がつやつやの清見オレンジでも、私は同じような反応が出る。
ちなみに、その他の普通のりんごやりんご加工品は全く問題なく食べられるので、りんごアレルギーではない)
新品パソコンの臭い(パソコンを買った。発泡スチロールの包装を開けたとたん、もわっと押し寄せてくる臭気に思わずのけぞった。
新品の部品の化学物質臭と電磁波のダブルパンチで、エネルギー場を感じさせる独特な臭い。
本体は約3週間、発泡スチロールは開けたままで約2ヶ月半、臭いが取れなかった)
しわのよらないスティック糊(便利かもと思って買ってみたら、すごい化学物質臭。
確かにしわは全くよらない。
私にとって、便利は引き換えを絵に描いたようなしろもの。
舌がしびれるんだよねと思いながらも、引き続きたまに使っている。
使い切らずに捨てることもまたエコロジーに反するわけで、これが化学物質対策の難しいところ。
よくよく吟味して買うよう心がけているのだが、一方便利な新製品を、使えるものなら使いたいと私だって思う。
ときにこういう予想を超えた事態があって、失敗する。
以下の2つも、まさにそれ)
年賀状の化学物質臭(時間がなかったのと、昨年プリンターの不具合で大変苦労したのとのせいで、今年は年賀状印刷を市販のものですませることにした。
カラフルで可愛らしい図柄があったので選んだら、出来上がってきたらひどく臭う。
印刷を貼付ける樹脂か、インクの臭いか、ボールペンで書けない(!!)程つるつるの表面のコーティングか、それら全てか。
げげっと思いながら、捨てる訳にもいかないので送る。
送った皆さん、すみませんm(__)m。)
うわばきの抗菌加工の芳香と薬品臭(靴は臭い易くて不快かもしれないけれど、そういうものならまめに洗えばいいことではないか、といつも思う。
清潔にする手間を惜しむために、他の臭いで覆い隠そうという感覚は、堪え難い。
抗菌ブームは過ぎたかと思っていたが、どっこい根強く生き残っているらしい。
油断していた。
よく見れば「サニタイズ加工」と書いてあるではないか。
サニタイズ=衛生だ。
衛生か、よくも考えた命名と感心するやらあきれるやら。
この加工の臭いは非常にしつこかった。
数回洗ってもとれなくて参った。
前の3つもそうだけれど、ビニール袋などの包装で臭いがブロックされ、開けてみるまで分からないものに今年出会うことが多く、新たな注意点だな、と思った)
ファブリーズ・リセッシュ(いわずと知れた消臭剤の古株と、新規参入品。
次々作られる、生活臭を目の敵にした奇妙なストーリーのテレビコマーシャル。
それらを見るにつけ、洗いなさいよ、換気しなさいよ、そしてある程度は受け入れなさいよ、と思う。
アレルギー対策のダニ燻蒸剤と並んで、使わずに済ませられる化学物質の、最たるものと私は思っている。
それを吹き付けた服で外を歩いたり、保育園などの公共の場で使われたりすれば、それに接したくない人も強制的に接せられることになるということを、せめて分かってくれたらなぁと思う・・)
マックハッピーセットのオモチャ(顧客獲得のために、子供の一時の快楽をそそるべく、大量生産、大量消費される資源。
これこそ無駄ではないのだろうか。
プラスチックと金具が混じっているので、リサイクルに廻すこともできず、不燃ゴミとなる運命。
最近うちの子は、気に入ったものがなければ、「要らない」と言う。
そして店員に怪訝な顔をされる。
まあ、マックを食べること自体論外、という声も聞こえてきそうですが・・うちでは時々食べます)


さてさて、相変わらずの話題で締めることとなった2005年ですが、皆様にはどんな年だったでしょうか。

私には、人生は一歩ずつだな、と感じた年、とでもいいましょうか。
急には進まない、思い通り予定通りにいかないことも沢山ある、でも各段階をひとつずつこなしていくことが、結局目的達成に繋がるのだろう、ということを、考えた年でした。
つい焦りたくなるのですが、無理せず、勤勉に、ゆっくりいこうと思います。

本年のMIO's Worldのご愛顧、ありがとうございました。
来年も、どうぞよろしく。

  2005.12.  





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